• Yoko Yoshimoto

「ドイツ語の乱れ」

最終更新: 4月17日



・近年、ドイツ人のドイツ語の乱れが問題視されている。2格(Genitiv)の用法だけでなく、ドイツ語を容赦なく簡略化し、間違った使い方を全く気にしていない。今回は、ドイツ語の乱れを検証してみる。

かつて、「ヨーロッパ放浪記」の中で、小説家マーク・トウェイン氏がこう書いた。才能ある人は、英語を3時間で習得し、フランス語を30日間で習得するが、ドイツ語は、3年弱掛かると。「ドイツ語は、もっと簡潔に改正されるべきだ。このまま行けば、ドイツ語はやがて死語になるだろう。もっぱら、死んだ人間ならば、ドイツ語の習得に、いくら時間を掛けても構わないだろうけれども。」2008年の調査によると、3分の2のドイツ人が、ドイツ語は、不人気であると感じている。その理由として、活字離れ、英語化、ネットによるコミュニケーション、若者のスラング(隠語)の広がりなどが挙げられる。しかし、2010年の調査では、84%のドイツ人が、ドイツ語の保持のために、何かしなくてはならないと答えた。しかし、この言語の変化と、言語の腐敗についての議論は、文法にもっと確固たる規律を設けるという意見と、この変化する使い回しを賞賛すべきであるという意見とに分かれている。しかし、双方の見地は、言語の変化の中で、大切な点をぼかしている。今がまさに、それを議論する時である。というのも、事態の真相は全く逆に向かっているように見えるからである。ドイツの標準語は、少しずつフレキシブルに変化している。これが、21世紀のコミュニケーションの形にふさわしく見える。

ドイツ語の新しい話し方?それはどんなだろう。ドイツ人の日常会話は、ここ数年、急激に変化した。今日、それに反対する者は誰一人としていない。トークショーなどを、気をつけて聞いてみれば、それは明らかだ。ドイツ語の文法は、全くお荷物になっていて、すべてのメディアの中で、話され方が簡略化し、効率化されている。今日ほど、学校教育での話し言葉における文法が、なおざりにされていることはない。一体、どれが正しい話し方なのか?

テレビドラマや、街で聞かれるドイツ語から、以下の4つの傾向が挙げられる。それらは、転換されたり、不明瞭に発音されたり、もしくは、全く切り捨てられたりしている。例えば、

“wir fahren im Urlaub.”(本来なら、in Urlaub)

“er hat es ihn versprochen ”(本来ならihm versprochen)

“es muss sich eine Behandlung unterziehen”(本来ならeiner Behandlung)など。

次は、古い2格の用法が廃れる形。その代わりに、前置詞が使われる。

“das Auto von Philipp”(2格を使うと、Philipps Auto)

“die Zukunft für Deutschlands Banken”

(2格を使うと、die Zukunft der Banken Deutschlands)

“die Justiz in Deutschland”(2格を使うと、die Justiz Deutschlands)

と言うように。また、次の例は、間違いである。

“wir treffen den Präsident”(正しくは、Präsidenten)

“der Strom geht zu den Verbraucher ”(正しくは、Verbrauchern)

“die neue Rolle Deutschland in der Welt ”(正しくは、Deutschlands)

“er hat darauf kein Anspruch”(正しくは、keinen)。

また、語尾がぼやかされ、正しい単語の結合が乱れている。たとえば、以下のような文章が、社会で話されている。

“Sie spielen mit ein niedlichen Eisbär(正しくは、einem)”

“von viele interessierten Jugendliche”(正しくは、vielen...Jugendlichen)

いわゆる、単語の性、格、人称の結びつきは、失われつつある。それらは、偶然に間違えたのではなく、習慣化している。そこでは、文法の役割が薄れていく。

以上は、氷山の一角である。簡略化の傾向は、文法の多くの領域に広がっている。たとえば、

„Schweinsteiger macht ein Tor“ ( ...schießt ins Tor)

„Castorf macht eine Aufführung“ (...bringt eine Aufführung)

„die Polizei macht eine Kontrolle“ (...führt eine Kontrolle durch)

のように、すべての動詞を“macht”に置き換えて使っている。その傾向は、移民が使うドイツ語に多い。

また、比較級も、彼らは下記のように使うことが多い。

“sie ist mehr aufgeregt”(正しくは、sie ist aufgeregter)

また、単語の性もやっかいなものである。Klientelの性は、一体、der,die ,dasのどれ?また、ニュース番組のアナウンサーもまた一貫して

“die politische Lage in Westen”、“in ZDF”などのように、冠詞を省いて話している(本来ならば、im Westen、im ZDF)。語順においてもまた、

“es kommt nicht, weil er hat keine Zeit”(正しくは“weil er keine Zeit hat”)

以上も、英語や多くの移民の言語を話す者に多い。さらに複雑な用法、例えば、接続法Ⅱ式の動詞変化などは、全く皆無である。一般でも、動詞の変化を無視した話し方をよく聞く。たとえば、

“er empfehlt” (正しくは、er empfielt)

“helf mal!” (正しくは、hilf mal!)

“sie rate ab” (正しくは、sie rät ab)

それを聞くと、違和感がある。が、多くは、訂正されずに聞き流される。

言語の変化を加速させるのは、移民の流入、話し言葉での交流、そして、多国語化にある。日常会話では、文法はお荷物になり、より省略されて、実践的になる。なぜ、それが今なのか?「言葉は変化する、なぜなら、社会が変化するから。私たちはそれを止めたいのか、制御したいのか、はたまた、それらと共生していかなければならないのか」と、イギリスの言語学者、デイヴィット・クリスタル氏は問う。そこには、多くの要素が関わりあう。1つ言えることは、言語の変化は、移民の移動の増加と共に加速するということ。

今日、およそ1,800万人が移民の系統であり、公に69ヶ国語が登録されている。ベルリンの様な大都市には、189ヶ国から1,300万人が、毎日他の言葉を話している。外国語と、それが話される頻度、そして、移民の話すドイツ語が、長いこと日常に入り込み、社会の中に急速に認知され始めてきている。そして、言語の変化に拍車をかける。ドイツは、一つの生きた言語の実験場となり、標準語と並行して、新しい言語が形作られる。

多くの会話での交流が、言語の変化の原動力となっている。ある言語学者は、バルカン半島を参照にしている。ロマンス諸語やクレオール語が、あらゆる地域で、会話で交流されることにより、文法が簡略されてきた。更に、世界共通語である英語が、頻度の高い会話ツールとして存在する。その中では、どれが正しい言語なのかに関わらず、その国の言葉に影響を及ぼす。多国語化とは、言葉の加工と、コミュニケーションの新しい方法が生まれることである。つまり、より多くの言葉を話す人々ほど、交流の主導権を握り、精神的にフレキシブルで、文化的にオープンである。だから、他国語化は、今日、急速に促進し、そして、政治、経済、文化の価値のある資源として発展していく。

言葉の変化という「踏まれて出来た道」

一体、新しい外国語とドイツ語が、どれほど混ざり合っているのか、その数を誰も把握することが出来ない。その融合する能力とバリエーションは未知である。トルコ語、ロシア語、あるいは、アラビア語は、ドイツ社会の中を器用に飛び交って、ドイツ語が、日常の人々の頭の中で、それらの言葉と相互に強く影響される。そこに、「2重の別の話され方」が生まれると、ある言語学者は言う。移民の話すドイツ語は、標準語とは、決して同じにはならない。移民の母国語は、ドイツで大いに話され、両者の文法が混ざり合う。やがて、彼らの日常の話し言葉の中で、新しいコミュニケーションに合わせて合理的に、変化させる。彼らは、ボキャブラリーを増やすために、多くのエネルギーを必要とする一方、文法の勉強に手が回らない。それが、言葉が省略される大きな原因である。しかし、その省略が、日常会話を効率的に理解することにつながる。

書き言葉としてのドイツ語は、哲学、経済、そして、世界文学を表現することで、一つの固有の財産に発展させた。しかし、その文体化した特殊な言語構成は、新しい、形式ばらない、現代のコミュニケーションには不要である。人は、移民であろうとなかろうと、日常で、フレキシブルに処理できる言語を必要とする。その際に、固い文法の正確性を保持する気持ちは、徐々に薄れていく。標準語と日常語は、様々な基準と語形を持っていて、それらは互いに補い合う。それは、ロシア語もチェコ語も同じである。ドイツ語も、それに従って変化する。それを言語学者は、ダイグロシア(周囲の状況に合わせて、2言語を使い分けする)と呼ぶ。それは、書き言葉と異なって話される。ドイツ語は、その特徴だけは引き継がれ、数世紀に渡って今に至っている。それは徐々に、英語のように分析的になる。つまり、文法が簡略化され、前置詞が増え、それに合った文型が生まれる。語順も話しやすい順番に統一される。

ほぼすべての新しい言葉の使い回しは、多国語化の元で生まれる、もしくは、それによって、変化の速度は速まる。時代と共に、それは、そこの母国語に受け入れられる。一つの間違いのように見える表現は、一旦ゆるく受け入れられ、やがて真似され、そして、いつの間にか一般的な言語習慣の中に溶け込んでいく。「学校文法という原始林を通りながら、徐々に道が開かれていく。言葉の変化は、まるで人に踏まれて出来た道である」と、デュッセルドルフの言語学者、ルディ・ケラー氏は言う。そして、私たちは、その変化を、一つの狭い見識から観察し、それを、間違いや誤用であると錯覚する。なぜなら、母国語を話す私たちは、いつも標準語のメガネを通して見ているから。しかし、私たちが、現実に見るものは、一つの違った、今、生まれるようとする基準の輪郭である。今日は、文法的な間違いであっても、明日の新しい基準に成り得る可能性が大きい。

街中のドイツ語は、今後の多国語化によって、ボキャブラリーだけでなく、文の構成まで、影響を受けるだろう。学校と大学は、その授業の中で、言葉の変化を意識づけることが大切である。

作;Uwe Hinrichs(2016,4,21) 訳;Yoko Yoshimoto 協力;Werner Zitzl

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