• Yoko Yoshimoto

「ラージはヒンドゥー教徒、私はキリスト教徒」

最終更新: 4月17日



・1人のインド人「ラージ氏」と、1人のドイツ人「マッヒェル氏」との、ある1つの友好。20年来、お互いが人生観について話してきた。それは私たちにどんな影響を与えるのか?また、何を私たちは信じるべきなのか?牧師のマッヒェル氏が、2人の異なる宗教と文化の出会いを語る。

マッヒェル:私が、まだ宗教をヨーロッパ的な見解からでしか見られなかった時、インドで私は、宗教の新しい出会いを経験しました。私は‘80年代初頭に1 年間、北インドのドイツ語の区域で働かせてもらっていました。そこで、いかにインドの宗教が実践的であるかを知りました。彼らの日常の信仰と私の宗教が、どのように融合していくべきか、それは私にとって新しく、また私の信仰を深く考えさせられました。ラージは、信仰心の厚いヒンドゥー教徒であり、私の親友となりました。私は彼の宗教についての多くを学び、同時に私自身についても大きな収穫となりました。

私の宗教的な意識は、旧東ドイツの国家権力と、現在まで続く不和軋轢を通して発展しました。若い頃の神への信仰は、私を強く動かしました。しかし、私を取り巻く教師と同級生たちは、信仰心よりも、強い教会主義を押し付けました。いかにそのことが12歳の子供心の信心を壊したか、私は今もしっかりと覚えています。なぜならば、教会の天地創造と、学校で習う生物学とを両立させるヒントを、誰も教えてくれなかったからです。ところが、ラージの元では、そのような押し付けは一つも出てきませんでした。ラージはそれに、異議も唱えず、また神学的な話題にも多く触れませんでした。彼は、彼の家の祭壇のこと、彼の祈りのこと、彼の寺の訪問のこと、それらがいかに実践的であるかを説明しました。宗教は、まるごと彼の日常の中に、当然の様にあったのです。

ラージ:インドでは、宗教を学校で学びません。宗教は、家族の仕事です。宗教は、寺の中ではなく、家庭の中で学ばれるものです。子供達は、宗教を家族の中で学びます。私の祖母は定期的に寺へ通いました、そして、彼女が家に戻るといつも、彼女は説法をします。私たちは、すべてヒンドゥー教徒で、家に仏壇を持っています。なぜなら、私たちは週に一度ほどしか寺に行かないからです。毎朝起きるとシャワーの後に、まず仏壇に向かいます。そして今日1日の無事を祈ります。夜ベッドに入る前には、再び仏壇に向かい、今日1日の無事を感謝します。それは、毎日実行されるものです。

マッヒェル:ラージの話を聞いていると、私の子供の頃のことを思い出します。私にも祖母がおりました。祖母は、私に祈ることを教え、子供用の聖書を読み聞かせてくれました。私がキリスト教育を受けて、堅信を施されることは、自然のことでした。しかし、社会主義的な学校の押し付けがなかったら、私は祖母を傷つけることはなかったでしょう。自分の意志で私は、堅信の施しを受けることをやめたのです。信仰と科学は、私のその時代、まだ保守的な堅信の授業の中では、融合することができませんでした。そして、私は神への信心をやめて、科学の世界をとることを決めたのです。

いかにうまく私は、祖母の元で洗脳されていたかを、私はインドで認識しました。神への質問と神の物語に、私は疑いを持ちました。この信仰の根っこは深く、私の人生の基盤となっていたものでした。それは心の奥深くに達し、それはまさしく私自身であり、もしくは、その環境そのものの様でした。

私がインドで魅了されたことは、互いの異なる宗教のリラックスした関係でした。インドではかつて、宗教紛争があった、そして、現在も繰り返しそれはあることを、私はメディアから知らされていました。しかし、ここでの印象は違ったものでした。私の住居の近くに、一枚の大きな壁があり、そこには、シヴァとヴィシュヌとドゥルガーとガネーシャ、そして、同時にイエスとマリアが描かれていました。私以外の人々は、誰もこの壁画に違和感を持ちませんでした。ラージにとっても、それは特別なものではなかったのです。ヒンドゥー教には、宗派がありません。ラージはその中に生まれました。それゆえに、他の宗教にも冷静でいられるのです。

ラージ:ヒンドゥー教は、とても寛容な宗教です。ヒンドゥー教徒の立場から、個人的にそう思います。私たちはそれぞれ、固有の神しか持っていません。キリスト教では、イエス・キリストを、イスラム教では、アラーを、そして、ヒンドゥー教では、ブラフマー、シヴァ、ヴィシュヌの3大神を持っています。固有の神に、それぞれの名前があります。そして、すべての宗教からの、すべての預言書からの、すべての哲学からの、深い教えは同じです。その中に戦争をさせるとか、問題を起こすようなことを、教え込ませる宗教はありません。すべての宗教は、愛と調和の中に生き、そして、すべての人々が兄弟であることを説いています。

マッヒェル:しかし、寛容さは自然に芽生えません。寛容さは、育った環境の元で生まれます。それがラージの場合、祖母でした。ラージは、祖母に感謝の念を抱いています。

ラージ:彼女はとても自由な人間でした。そして、私たちはヒンドゥー教徒であるけれども、イスラム教徒やシーク教徒、仏教徒の友達を持ち、彼らはよく私たちの家に遊びに来ました。そして、ヒンドゥー教は、全く自由な宗教であり、その儀礼は強制されるものでありません。各々が自由に宗教儀式に参加できます。

マッヒェル:私とラージは、恐れることなくお互いの宗教の垣根を越えて、繋がった気分です。私自身は、仏教徒の友達を通し、多くの刺激をもらいました。そしてラージは、シーク教徒との出会いから、その刺激をもらいました。

ラージ:シーク教は、ヒンドゥー教から派生した改宗宗教です。大きな違いは、シーク教には階級がないことです。シーク教徒は、他人のために何かをしようとします。例えば、社会的な施設を作り、何千の人々に対し、毎日無償で食事を与えます。私は自分のことを、とても寛容であると思っています。ヒンドゥー教徒として、あらゆる宗教の高貴な部分を受け入れます。シーク教の寺院にも、モスルにも、喜んで行きます。そして、どの宗教にも決まって、高貴な部分があるものです。私はそれを喜んで受け入れ、実行します。

マッヒェル:さまざまな関わりの中で、キリスト教徒である私と、ヒンドゥー教徒の友達との違いを、私は気にしてしまいます。そして、どうしても、「そちらか、もしくは、こちらか」の選択か、「イエスか、ノーか」で位置付けてしまう傾向にあります。ラージの場合は、常に「これも、あれも」なのです。そのラージの考え方とその結果は、今の私にとって、とても大切な刺激になっています。ラージは、いつも別の次元に生きているというのが、私のラージに対する印象です。生きている瞬間が、再び生まれ変わる輪廻転生という長い鎖の中に埋めこまれるという観念は、多くのインド人の毎日の生活にとって、とても意味があることと思います。

ラージ:輪廻転生は、インドの社会の根本思想です。私もまた同じ考えです。人は、常に良いカルマをすること、そうすることによって、人は社会の中でより良いカースト、より良いステージに上がることができるのです。そして、いつの日か、人は多くの輪廻転生を経た後、天国に行くのです。それは、涅槃、、解脱、救済に通じるものです。そして、人は輪廻転生の鎖から解放されます。インド人は皆、そこに到達しようとします。ガンジス川で水浴し、他人の救済を志すのです。人は、必ずしもジャングルで、あるいは山中で瞑想をする必要はありません。もし、人が世界で正直にそれを行うのなら、すでに皆、解脱に達していることでしょう。

宗教はインドで、人々の平和にとても大きく貢献をしています。そこには、常に妬みはありません。人々が仲良く生きていくこと、そして、人々が妬みや欲望を持たぬようにしています。

マッヒェル:それは確かに人生の根本を成します。もし、人々がそれぞれの宿命に不満を抱かなければ、また一つの確かな満足感を持っているのならば。ここで私は、カールマルクスの「宗教は民衆のアヘン」という言葉を思い出します。宗教は、人々が合法的な権利を要求すること(=革命)を抑えてしまうと。身分の高い雇用主が、身分の低い人たちに、宗教を使って、我慢を教え利用する。私には、さらにそれが、レーニンの過激思想にまで考えが発展してしまいます。宗教は民衆のアヘンとなり、個人の利益に利用される。けれども、ラージは、そのことを私ほど過激に捉えません。ラージは、宗教は、民衆を無関心へと導く可能性もあるという点で、私と意見が一致しました。

ラージ:はい、宗教とはそういう部分もあります。貧しい人々は、それぞれの運命を受け入れ、また、その運命を変えようとしないからです。神は私たちに、その運命を与えた。私たちは、それを我慢しなければならないと、彼らは考えてしまいます。それは宗教の持つ大きな欠点です。彼らは、信仰していることで、今の境遇にすでに満足してしまっているのです。

マッヒェル:現在の自分の運命が、前世の報いであるという教えを信じるのなら、ラージが指摘する様に、私たちが今日していること、それが次の輪廻回生を決定させることに繋がります。そして、それはま無関心へと導くことではなく、真剣に打ち込む行いへと導くことであり、宗教は行いによって、完成するのです。

ラージ:各々が自分のカルマを考えることは、心安らかになり、平和へと繋がると考えています。私はここで一つの例を挙げてみたいと思います。ある医師の団体が60歳の定年後に、彼らのカルマのために何かをしたいと考えました。彼らは、慈善病院でボランティアとして、毎日2〜3時間働きました。そこでの収益の数%は、貧しい人々に寄付されます。各々がカルマのことを考えること、それを私はとてもいいことだと思うのです。

マッヒェル:それにより、世界が一気に良い方向に変化することを考えるとワクワクします。しかしインド人が、ヨーロッパ人である私たちよりも、固く伝統の重要性を意識していたとしても、あなた方は今、大きな変化の中に立っています。ラージは、現在のインドの急速な発展をはっきりと意識していて、それを誇りにも思っています。しかし、ここで少なからず将来の不安が起こります。それはインド人にとり、また子供達にとって、何を意味するのでしょうか。

ラージ:私たちは、家で子供たちに宗教的な教育をしてきました。しかし、今子供達は、学校、友達などの外の世界が、重要な役割を果たしてきています。そして、彼らは私たちがしてきた様に、宗教的でなくなってきています。なぜなら、現代の大抵の家族では、両親が共働きであり、両親が子供たちに宗教的な教育をする時間があまりありません。

マッヒェル:ラージの両親と祖父母の頃と比べると、いかに現代が深刻に変化しているかが分かるでしょう。特に女性の役割が変わりました。

ラージ:以前の女性たちは、すべて男性から決められたことをしていました。やがて、多くの女性が学校に行けるようになると、彼女たちは自分で稼ぐようになり、そして自信を持つようになりました。その変化は驚くほどに速かった。ある部分、テレビやインターネットの力は大きい。インド人は、そういう意味で大改革の中にあり、女性たちは躍進しています。

マッヒェル:新しい時代は、進歩だけをもたらしません。少しばかり不安も広がります。ラージはそれを、自分の年齢を顧みながら語ります。

ラージ:私は、晩年はゆっくりと家族と過ごしたい。インドでは、長老が家族の中にいるという風習があります。私たちには、老人ホームというシステムを持ちません。私が最期まで家族と過ごすことと、その大家族のシステムの維持を望んでいます。

マッヒェル:ところで、私の娘が7歳の頃、肉食をやめると言い出しました。それは、私の家族の中では、大きなショックでした。私がラージにそのことを言った時、彼はただ笑っただけでした。

ラージ:菜食は、家族で実践しています。私の家族は、12人です。そして皆が、ベジタリアンです。ヒンドゥー教は、基本的に肉食を禁止しています。子供の頃から、とても強く菜食することを教えられました。私は何回もヨーロッパに行きましたが、私は全く肉を食べませんでした。それは、考え方に由来します。

マッヒェル:菜食主義だけは、私は無理かもしれません。考え方から、私は簡単にベジタリアンであると表明することは可能です。しかし、習慣が邪魔をします。ラージの宗教的な背景を持ってすれば、完全に肉を断つことは、私にも容易なことでしょう。あなたは、かなり強い根拠を持っています。しかし、私の宗教ではありえません。

ラージ:私たちは、いつも考えてきました。それぞれの動物にも、生きている以上、その祖父や祖母の魂を持って生きていると。そして、インド人はベジタリアンであり、多くの人々はそれを続けたいと思っています。彼らは肉食を避けます。暑い気候が肉食と合わないからです。インドには、野菜と野菜料理の種類は豊富にあります。肉がなくても済むのです。

マッヒェル:そのように、大体いつも、ラージとの宗教についての話は、個人的な次元と、社会政策的な次元との両面を持ちます。もし10億人以上の人口を持つインド人が、西洋の国々のように肉を食らえば、それはもう生態系に大混乱を来たすでしょう。私たちが、肉の消費に関して、少しばかりインド人から刺激を受ければ、地球にとって一つの恵みになるでしょう。

ラージは、ヒンドゥー教徒、私はキリスト教徒、私たちの宗教は極めて多様です。そして、新しい光の中に、お互いの立ち位置をいつも確かめられることが嬉しく思います。最近、ベルリン・ノイケルン地区に、一つの大きなヒンドゥー教の寺院が建設されました。いつの日か、インドにキリスト教会が、当然の様にあるように、ドイツにヒンドゥー教寺院が、当たり前のようにあるようになるでしょう。

私たちの文化と宗教との出会いが、いかにお互いを豊かにするかを、ラージと私は体験しました。そして、美しい音色を奏でることも可能だと思います。アヌーシュカ・シャンカールの音楽のように、もしくは、ユーディメニューインとラヴィ・シャンカルの共演の様に。

作;Pfarrer Jörg Machel (2017,5,21) 訳;Yoko Yoshimoto

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