• Yoko Yoshimoto

「幸運にも、イスラム教があった」

最終更新: 4月17日



イスラム教は野蛮であり、キリスト教は啓蒙のイメージを抱く人が多い。しかし、どちらも間違いである。実は昔、キリスト教徒は野蛮人だった。

「その虐殺は、とても恐ろしいものだった。ラテン語の文献によれば、十字軍がその殺人に関与した。生温かい血が飛び散り、恐怖は止まなかった。街は廃墟と化し、軍人は歩き回り、老若男女、イスラム教徒もユダヤ教徒も、見境なく殺した」

そのようにイギリスの歴史家、トーマス・アスブリッジ氏は、彼の大作「十字軍の遠征」で書いている。それは1099年6月、西ヨーロッパから最初にエルサレムを征服した侵入者が犯したこと。その戦いは、キリスト礼拝の日を中断して、少なくとも2日間続いたと、その時代の旅行者は記している。虐殺の6ヶ月後、エルサレムには死臭が漂っていた。十字軍遠征者にとって、虐殺は単なる復讐ではない。「それは彼らの信心深さと純粋な信念を満たす、神への仕事を実行することだった」と、アスブリッジ氏は語る。

神のための戦争、それは今日私たちに聞き覚えのある言葉。西側の多くの人々が、神の名の下の暴力を、イスラム教特有のものとみなしている。なぜ十字軍という言葉が、アラビアの世界で今日まで、効果的な戦争の概念に使われているのか、それを理解させるために、スケールの大きい恐怖を、嫌でも分かるように突きつける。ISのプロパガンダを発信する者は、それを利用する。彼らの虐殺行為を正当化するためにも、そして、キリスト世界とイスラム世界の調停不能な抵抗でもって、彼らの意のままにするためにも。そして、西側では、多くの人々がその罠にかかる。

キリスト教徒は、組織的に彼らの固有の文化を根絶した

イスラム教とヨーロッパとの関係は、イスラム嫌いとイスラム恐怖症の人たちが、イスラム教徒を悪者扱いするような、そんな単純なものではない。アラビア世界とイスラム教なしでは、私たちの西洋文化は生まれていなかっただろうということを、キリスト教を擁護する西洋人は理解しようとしない。なんと愚かなことか!

それを理解するために、もう一度、十字軍の遠征を学ばなくてはならない。紀元4〜8世紀頃、キリスト亡き後の暗黒時代のヨーロッパ。その当時、キリスト教徒は、更なる侵攻を行った。

一つの例として、キリスト教の征服者と教会指導者は、西ヨーロッパと東ヨーロッパに大量に本が広まることを恐れた。全ての書物を人は、尊敬すべき偉大なる神に、生け贄として捧げた。聖書と神学の論文の全ての知識は、危険とみなされたからだ。なぜなら、それは信心を疑問視する恐れがあったから。ギリシャの哲学者と劇作家、自然・精神科学・人文科学の多くの作家たちは、東へ逃亡することで、生き残ることができた。その際に、知識と本を携えて東に伝えた。「曲がりくねった道を通って、アラビア人であるアリストテレスと全てのギリシャの学問の宝は、受け継がれたという」と、ペーター・ワトソンは、彼の壮大な世界文化の歴史書「思想理念」の中で書いている。例えば、アリストテレスの弁証法は、キリストの思想の中で弾圧された。「なぜなら、神との対話が、予想以上に簡素に感じられたから」。やがて、その結末は「アリストテレスの作品は、論理学についての2つの論文を除いて、ヨーロッパから排除された。私たちの元に今残る理由は、アラビア人の翻訳者たちが、守り伝えたからである。ソフォクレスなどは、およそ123の悲劇を書いたが、残された作品は、その中の7つだけだった。アイスキュロスの作品もまた同様にされた。

アラビアの世界では、進んだ宗教的な寛容があった

キリスト教徒の文化の破壊者は、8~9世紀にビザンチン帝国内で起った聖画像崇拝の是非をめぐる論争と対立の時にも、大量の芸術作品を破壊した。なぜなら、その当時の宗教の教義が、それらを偶像として非難したからである。宗教の先入観から、美しいものだけでなく、遺産までもが、愚かな考えで残酷に破壊された、とワトソンは書いている。この出来事に人は、無意識にISやタリバンを思い起こすことだろう。

アラビア人やペルシャ人が、多くの古代ギリシャの文献を保護しなかったなら、もっと多くのものが、ヨーロッパの精神史から失われていただろう。幸運なことに、この観念と知識は、最終的にはアラビア&ペルシャ圏からヨーロッパへ逆流した。「前世紀のイスラム支配では、一つの活気ある、社会的な、文化的な、3つの宗教の交流があった」と、有名なレバノン系イギリス人の東洋学者のアルバート・ホーラニ氏が、彼の内容豊かな著書「アラビア民族の歴史」の中で書いている。キリスト教優位なヨーロッパとは違い、アラビアの世界では当時、進んだ宗教的な寛容があった。「アラビア半島周縁では、ほとんどすべての街の住人たちは、多々なユダヤ教やキリスト教の信仰共同体の中で生活していた」とホーラニ氏は語る。

イスラム教でないものも、当時の支配者の保護の下に置かれていた。ユダヤ教徒やキリスト教徒の商人や旅人、学者らを通して、失われていった知識は、再びヨーロッパへ伝わった。

名高いイタリアの東洋学者フランツェスコ・ガブリエリは、それをこうまとめている。「西洋はその当時、イスラム教を仲介して、古代の文化遺産の重大な要素をもらった。それは後のヨーロッパ独自の発展に持続的に影響を及ぼした」

特に医学的な分野で、知識の伝授は頻繁に行われた。15世紀の間に、教会の権力によって制約されてきたヨーロッパの医者たちは、ペルシャとアラビアの医者の知識(特に、イブン・スィーナーの「メディクス」)から多くを学んだ。

イスラム教がなかったら、多くの西洋文化は消滅していただろう

アラビア世界なくして、イスラム教なくして、私たちが今日、西洋文化遺産としてみなしている大部分のものは、永久に消滅していただろう。イスラム教は、今日野蛮な宗教として批判にさらされ、キリスト教は寛容で啓蒙的であるという印象は、間違っている。私達が今日、西洋の伝統として理解していることは、何よりも、イスラム諸国の宗教と理性からの恩恵を受けている。もし、イスラムとヨーロッパの変化に富んだ歴史の中から1つを示すとすれば、組織化された宗教が、政治的、社会的な規律を作り始めるとすぐに、それが政権と取る取らないに関わらず、危険に向かうということである。過激な絶対権力は、合理的な根拠を裏付けできない。やがてそれは、文化財の破壊や、大量虐殺に向かう。それは、イスラム教と同様、キリスト教にも起こりうることである。


作;Christian Stöcker(2016,10,2) 訳;Yoko Yoshimoto


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