• Yoko Yoshimoto

「コーヒーと教会の意外な関わり」

最終更新: 4月17日



1700年頃、コーヒーはヨーロッパに入って来た。そして、それはプロテスタント教会の精神と関係があった。その意外な結びつきとは、、、。教会でコーヒーは、いかに楽しまれ、地域社会と結びついているか。

教会の礼拝が終わった。大抵の礼拝者は教会を去る。けれど数人は残っている。教会の別の部屋に、数台のテーブルが置かれ、コーヒー、紅茶、クッキーなどが準備される。2人の婦人がコーヒーを注ぐ。神父とオルガン演奏者が入って来る。そこでは、コーヒーや紅茶を楽しみながら、説教を聞いたり、地域社会の出来事を語ったり、近々の教会人事の選挙について話したり、あるいは、新しい商用ビル建築に際しての駐車場の問題について、はたまた先週起きた重大な交通事故について、、、などの町の問題を話したりする。またある者は、近所に住む病人も、一度は教会に出てくるべきであることを提案した。コーヒーと教会、それは、一つの礼拝社会のコミュニケーションの継続に一役買う。

礼拝の後の一杯のコーヒーの時間は、ドイツではいくつかの教区には存在する。そのコーヒーや紅茶、クッキーを囲む社交的な集会は、日常の礼拝集落を取り戻す。それを行う多くの教会には、一台の大きなエスプレッソマシーンがある。今では、多くの家庭でも自宅でコーヒーを楽しむ。あるいはカプチーノを、焼けきたての香り高い丸パンやクロワッサンと共に楽しむ。ここで、バッハ作曲の明るい調子の「コーヒー・カンタータ」を思い出す。コーヒーを飲むことへの警告、そう父親のシュレンドリアンが、コーヒーをやめられない娘、リースヒェンに警告する。(おそらく)1732年のバッハの作品。「この不良娘よ、だらしない娘よ、いつになったら私の願いが叶うのか。さ、そのコーヒーを片付けなさい!」

父親は、もしコーヒーをやめなければ、結婚をさせないと娘を脅す。リースヒェンは、とうとう父親に従う。しかし、彼女は、コーヒーを飲むことを許す人だけと結婚すると、密かに企む。

17世紀末、市民がコーヒーを楽しんだ

では、いつから普段にコーヒーが飲まれるようになったのか。ある調査によると、1650年頃には、コーヒーはまだヨーロッパでは、広く知られていなかった。東方旅行記には、コーヒーは、異国の事物として書かれていた。しかし、その数十年後に、コーヒーは既成の飲み物になっている。そして意外にも、プロテスタント教会の精神とコーヒーは関わりがある。とりわけ、職業のあり方が、プロテスタント教会を通して変化をもたらした。というのも、17世紀の終末期の市民は、コーヒーを酔い覚ましの飲み物として歓迎したからだ。コーヒーを飲むことによる理性と仕事の成果は、アルコールによる酩酊や怠惰と対比された。イギリスのピューリタンであるジョン・ハウウェル曰く、

「コーヒーが市民を酔いから覚ますこと、それは証明された。当時、職人や商人は、朝からエールビールや、ワインを楽しんだ。それにより、まともな商売ができなかった。彼らはその半分酔った生活に慣れていた。」

中世において、とりわけ17世紀まで、パンと並びビールは、中部と北部ヨーロッパの市民の一般的な食べ物だった。朝食には、よく「ビールスープ」が食べられた(ビールに古いパンを浸し、キャラウェイシードをまぶし、軽く温めたもの。好みにより砂糖や塩を入れた)。この穀物スープは、子供を含めた家族全体の食べ物だった。ビールの醸造も、パンを焼いたり、そして家畜を殺したりするのと同じ、家事の1つであった。それに酒盛りは、日常茶飯事だった。その批判が16世紀に、とりわけ宗教革命の時に起こった。革命では、神と人との関係を新しく定めるのと同時に、商業など宗教と関係のない仕事とアルコール飲料を切り離した。

しかしルターの場合、それに対して徹底的に厳しくなかった。彼は権力のある神学者ではあったが、一人の人間でもあった。彼は、美食とセックス、そして飲酒を楽しんだ。彼は確かに酔っ払いを罵ったが、彼の妻ケーテお手製のビールを、毎日喜んで飲んだ。

コーヒーを使って清教主義は、ビールの消費を阻止したかった

しかしながら、社会的なそして経済的な飲酒の廃止は、そう簡単には達成されなかった。17世紀末になってやっと、それがイギリスで起きる。強いイギリスの清教主義が、過度なビール消費の禁止に取り組み始めた。アルコールの影響による、常に朦朧とした怠惰な人間は、コーヒーを飲むことにより、ブルジョア的な理性と優れた商才を得るだろう。それが喫茶店の出現のきっかけとなった。1687年、エドワード・ロイドが、イギリスのロンドンタワー通りに、イギリスで初めてのコーヒーハウスをオープンした。そこでは、経済を始め、政治、文学、文化など、さまざまな情報が交換された。1700年頃には、ロンドンには3,000ものコーヒーハウスがあったと記されている。その当時のコーヒーハウスは、公の市民の中産階級の集まる場所で、一つの社会の中心となり、文化的なコミュニケーションの新しい形に発展した。コーヒーは、酔わない飲み物として、誠実で勤勉な社会機能を構築し、やがて民主主義の広まりにつながった。このイギリスを真似て、ヨーロッパ大陸にコーヒーハウスが広まり、後発国の人々も少しばかり、世才のあることを身につけた。しかし女性達は、これらの公のコーヒーハウスから締め出されていた。それを詩人ピカンダーが風刺し、バッハの「コーヒー・カンタータ」のコーラスの一節に結びついた。

猫はネズミを取るのをやめない

乙女たちは「コーヒー姉妹」をやめない

おかあさんはコーヒーを飲む習慣を愛し

おばあさんもコーヒーをよく飲んだ

だからだれが娘たちを悪くいえようか !

奇跡の経済復興と共に、コーヒー豆がスタンダードになった

そのように婦人たちが、コーヒーハウスで独自の文化を発展させられない鬱憤は、やがて彼女たちを、コンディトライ(中でコーヒーも楽しめる、ケーキやお菓子を売る店)に足を運ばせた。しかしこの時代でも、女性たちのコーヒーを飲む姿は、パロディーとなった。1976年、ウド・ユルゲンスが歌った「けれど、生クリームと一緒に!」は、大ヒットとなった。

1945年以降の奇跡の経済復興と共に、大きなコーヒー会社がドイツに進出してきて、コーヒー豆から挽くコーヒーが、スタンダードになった。もし、コーヒー豆500gの価格が、他の店で20ペニヒ安かったならば、女性たちは1km先でも買いに走った。当初はフィルターで濾され、やがてコーヒーメーカーの時代が来る。そのコーヒーメーカーの普及と共に、どの家庭でも、コーヒーの豊かさを手に入れた。そして更に進化していく。

1990年代の始め、イタリアのコーヒー文化がドイツに伝わる。カプチーノ、それは20年前、まだイタリア旅行が高価だった頃、ドイツ人が体験した贅沢だった。それも当初は、手作業での複雑な注入と泡立てる工程があった。しかし今は、コーヒー豆と水とミルクをいれるだけで、後は全自動マシーンにお任せ、毎日気軽に飲めるようになった。コーヒー豆、水、ミルクの注入、残りは全自動でお任せ。さらにもっと簡単なコーヒーパッドが出現する。あらゆる進歩のおかげで、楽しみのバラエティーが増えた。やがて、アメリカの大手喫茶店チェーン店の進出で、ドイツの喫茶店の一部は淘汰された。そこでは新しくて美味しいコーヒーの創作が追求された。コーヒーの世界はそれ自体、一つの小さなパラダイスであり、教会カフェも再び注目される。カプチーノを飲むことは、生活スタイルの向上を意味するトレンドとなり、新しいカフェは、旅行者やキャリア社員、女性管理職など成功した者たちの待ち合わせ場所となる。カプチーノだけでなく、ラテ・マキアート、コーヒーフロートなど、バラエティーが拡大していく。コーヒーメーカーの技術進歩は目まぐるしく、その提供のスピードには驚かされる。かつては、酔わない飲み物として、もてはやらされたコーヒーは今日、洗練された1つ嗜好品となった。それは、この上ない贅沢な社会の象徴といえる。

プロテスタントの女性たちにより、コーヒーを飲むことで、人々を1つにした

教会でのコーヒーの役割に話を戻すと、牧師として私は1980年、レックリングハウゼンの街で、女性による礼拝と黙想を兼ねたコーヒーハウスを開いた。およそ100人のプロテスタントの女性たちが、この集まりに定期的に訪れた。それは、ボランティアで行われ、音楽やコーヒーが楽しめるものだった。週に一度のこの集まりに、人々が引きつけられ、やがてその集まりは女性たちの社会活動へと発展していった。教会から始まって、AWO(労働者福祉事業)や、キリスト教支援団体、地域の小菜園グループ、国民年金組合に至るまで、、、。

コーヒーを飲むことは、一つの信仰を介しての特別な出会いと、心の安定。コーヒーを飲むことは、他の人と交流するという一つのチャンス。コーヒーを飲むことは、社会的な交流手段。それは女性のコーヒーのグループだけでなく、若い人々の、男性たちの、そして教会と全く関わりのなかった人たちの、新しいコーヒーの交流文化へと発展した。そのように、街の教会は、教会に人々を引き寄せ、飲食のサービスを提供するようになった。

街に買い物に出たものは、しばしの憩いのために、オープン教会に立ち寄る。彼らは木の椅子に座ってみて、ろうそくに日を灯したり、ステンドグラスに目をやってみたりする。少なくとも大都市には、教会カフェに起源を遡るプロテスタント系の民主主義が生まれた。

銀行の重役と路上生活者が打ち解ける場所

教会カフェは、単なる教会の後のコーヒーと少し違う。教会の後のコーヒーとは、神父の後からの説教を聞いたりする、礼拝者の社交的な交流の場。しかし教会は、一人暮らしや、路上生活者の人々のための隠れ家の役割もある。その機能は、多くの教区にあったし、今でも存在する。教会カフェは、すべての人々の待ち合わせ場所。教会は、宗教上の敷居なく、いつでも入れる存在でありたい。もし小さな喫茶店が、教会の隣にあったなら、、、ハンブルグのザンクト・ヤコブ教会には、鍵屋の真隣にそんな教会カフェがある。敷地は6m×2,5mと狭く、築10年以上で、表はほとんどがショーウインドーになっている。ドアの前には、2つの立ち飲み用の机。経営者はマルク・メーラー、彼は、牧師補とソーシャルワーカーの仕事をする。「私はある考えがあった。ここハンブルグの町の真ん中に、一つの場所を創り出す、教会に入るのとは直接関係のない人々も、お客としていることができるという。」

カプチーノは、普通の喫茶店と同じように飲め、値段はとても安い。結果的に、社会的なさまざまな層の客が集まった。「ある目的を持った誰か彼かが来る。多いのが観光客たち。それに、例えば銀行の営業マンなど、休憩を取りたい人が来る。つまり、ありとあらゆる人たちが集まる。」

そのような偶然の混ぜこぜの集まりは、問題を起こさないだろうか、争いが起こらないだろうか、、、その問いに、牧師補のメーラーは答える。

「ここは、小さな一つの教会カフェです。お互いに接触を求めに来ます。もしここが銀行なら、ちょっと座っても、おしゃべりするような雰囲気にはならないでしょう。でもここは、銀行の重役と路上生活者が打ち解ける場所なのです。」

フェアーに取引されたコーヒーが薦められる

ここでは、会社員や経営者、そして低所得者や路上生活者など、あらゆる人々が集う。そしてここでは、すぐに打ち解ける。足の疲れた買い物客の休憩場、また神父がちょっと立ち寄って、説教の続きを聞く、修道女もまたそこで落ち合う。この教区に立ち寄った様々な人々が、普段の礼拝の後に、そして一杯のコーヒーを飲むために会い、そして別れる。

多くの街の教会の仕事の様に、ここでの毎日の活動は、ボランティアなしでは有り得ない。クリスタ・ヴァルタートは、年金をもらい始めてから2ヶ月間、ここで働いている。

「この仕事は、私にとり初めてのこと。牛乳を入れたり、泡立てたりの、すべてが初めてで、覚えることばかり。私はまだ見習い中です。」

彼女は、従業員仲間や訪問者との出会いを大切にしている。彼女は、このボランティアでの教会カフェの仕事について、こう語った。

「本当に毎日が、すばらしい体験で、毎日が楽しい。1週間に一度、時間が許すなら二度、ここへ奉仕に来るのが、とても楽しい」と。

この教会カフェで売られているお菓子もまた、無償で焼かれている。一人のよく来るお客様は、健康上の理由から、水を一杯だけ飲みに来る。そしてすぐに隣の人と打ち解ける。その隣の人は、自分の腰痛の手術の話をした。そこで聖書の中の治癒の話をした。神学的な話は、人をリラックスさせる、と牧師補のマルク・メーラーは言う。

罪悪感なく楽しむ

プロテンスタントとしての、無差別主義者のための、その提案者のための、その話を聞く人のための、そして、楽しむためのコーヒー。キリスト教徒も一杯のラテ・マキアートを楽しむ、、、そんな贅沢を、罪悪感なしで。しかもここでは、フェアトレードのコーヒー(発展途上国の労働者を支援するために、公正な価格で取引されているコーヒー)だけを使っている。飲めば、公正の味がする。やがて、それがスーパーマーケットや他の喫茶店にも広まる。

「私たちがここで薦めるコーヒーや紅茶は、フェアトレードのものです。残念ながら、エスプレッソは、味の観点から別のコーヒー工場のものを使っている。今現在、それに匹敵するレベルのエスプレッソが、フェアトレードにないから。」

牧師補のメーラーにとり、教会カフェは、社会奉仕活動と宣教と、街の教会の存続の融合だ。先日、1年に1度行われるドイツ全土に及ぶ教会の会合に、彼も参加した。そこでは教会カフェが、もっと宣教の観点を強調したいという議論が行われた。ヤコブ教会の教会カフェでは、待降節の時に詩の朗読会を、受難節の時に瞑想の会を行う。プロテスタントの、酔わない人たちのためのコーヒーは、ここで更に活気づく。そして、コーヒーを超える何かを考える、「天国で私たちは何をしたいのか、、、」など。


作;Hans Jürgen Benedict (2016,7,17)   訳 : Yoko Yoshimoto

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