• Yoko Yoshimoto

「インガ・ルンフ70歳、まだ17歳の気持ち」

最終更新: 7月2日


インガ・ルンフ、音楽家、ロックシンガー、作曲家、そしてヒッピー

彼女は、ドイツのロックの歴史を綴る。B.Bキングと共に舞台に立ち、ティナ・ターナーに曲を提供した。そして、今も巡業の旅に出る。8月3日、音楽関係者らが彼女の70歳の誕生日を祝った。

彼女の赤い髪、青い目、そしてハスキーな声。1968年、ドイツで最初の歌謡コンテストの番組で、俳優のワルター・ギラー(Walter Giller)は、彼女がロックシンガーとして大成することを予感した。チュール地の服を着た、その当時21歳の彼女は、“Schade um die Tränen“ を歌い、その番組で第8位になった。それから、彼女は歌手としての人生を歩むことになる。1965年、ハンブルクのフォーク&ロックバンド“The Ctiy Preachers”でヴォーカルを務める。その時のドラムが ウド・リンデンベルグ。

やがてグループから、彼女とロンドンのギタリスト、ジョン・オーブリン・ドッカーが脱退。1969年、彼女はロックバンド“Frumpy“を結成。“Haw the gypsy was born“ が、このバンドの大ヒットとなる。音楽雑誌「ミュージック・エクスプレス」の読者らが、1971年の最高のロックグループに選んだ。1972年、彼女とジャン・ジャック・クラヴェッツとカール・ハインツ・ショットらが、このバンドから脱退し、“Atlantis“を結成。おそらく彼女にとって、最も重要で、成功したバンドとなる。彼女は、トレードマークとなった、「煤けたハスキーボイス」で名を馳せた。

鳥肌を立たせる彼女のボイスは、やがて彼女をゴズペルへと向かわせる

彼女がソロ活動を始めた頃、他の真似できない、強烈な印象を残すその声を、彼女は武器にした。おそらくその理由は、歌い手として、その彼女の声が、突破口を塞いでいると考えたから。自分は本流の歌手でないと、彼女は過去に語っている。

「私の声は、大きく対極にある。私の声は、通常の歌い手とは違う。」

‘90年代より彼女は、その煤けたハスキーボイスで、ゴスペルソングに彼女の大きな情熱を傾けた。2006年、インガ・ルンフは、お別れの公演巡業を公表した。しかし彼女は、引退を考えた訳ではなかった。「私は時に70歳、時にまだ17歳の気持ち。」

作曲家のマーティン・ベッヒャーは、若さ維持し続ける彼女と対談した。とりわけ、「クラウトロック(1960〜70年代に誕生したドイツ人のロック)」のヴォーカルとして活動した彼女の1年目について、彼女の音楽生活で、どの段階が最も好きだったか、現在のドイツのロックシーンで、どのような経験をするかなどの質問をした。 (以下が、インタヴューの内容)

Q:誕生日、おめでとうございます。今日のお気持ちをお聞かせ下さい。

A:70歳になるまで、ステージに立つことが出来て嬉しく思います。まさか、この歳になるまで、歌い続けていること、そして、コンサートが出来ることを、夢にも思っていませんでしたから。

Q:あなたは、50年以上、音楽活動をしてきました。「シティー・プリチャー」、「フランピー」、そして、「アトランティス」と、3つのバンドを経て、ソロの活動まで。あなたの音楽生活で、どの時期が一番好きですか?

A:どの時期も大事であり、そして、楽しんできました。まず、1960年代の「シティー・プリチャー」というバンドから始まりました。そして、「フランピー」でヨーロッパを公演し、「アトランティス」では、アメリカでコンサートを行いました。そして、ソロでは、旧ソビエト連邦で行いました。つまり、どの時期をとっても、私にとっては、とても大切なものです。そして、今も何か次のことをやりたくて、ワクワクしています。

Q:でも、あなたは現在、自分の名前でソロ活動をしていることについて、ある筋では、あなたはもうバンドを組みたくないと、ソロ活動の方がいいと伝えられていますが、その点はどうですか?

A:私たちはかつて、「フランピー」や、「アトランティス」時代に多くを試し、そして、やがて、各自それぞれの音楽を追求していこうとすることに気がつきました。それに従って、私たちは解散したのです。そして、各々が自分に合うバンドを見つけました。そして、私はソロを選びました。もちろん、ある決まったバンドにも属していますけれども。今まで、多くの曲を書きましたし、これからも、歌うことで表現をしたいと思っています。

Q:あなたの声は、しゃがれ声で、時として、「悪魔のような」と、喩えられます。あなたは、当初それを、批判として受け止めましたか、それとも、名誉として受け止めましたか?

A:自分の声について、私は全く深く考えたことがありませんでした。他人が、私の声をどのように感じて、どう判断するかなんて、滑稽だと思います。何れにしても、自分の声は変えることは出来ませんから。

Q:でも、「悪魔のような」のという比喩については、私も考えるところがあります。あなたの声には、さまざまな比喩が出てきまけれども、「悪魔のような」という表現は、現在のあなたに合っていないような気がしますが、、、。

A:そうですね、私もそう思います。おそらく、それは’60年代、’70年代の始めのことです。そのしゃがれた様な声が、その時代には、異様に感じた。それは、私のせいではない。けれども、当時の視聴者は、そう受け取めたのでしょう。

Q:今日、その様な声は、神からの贈り物であると、私は思いますが、、、。

A:そうですか。でも、先にも言った様に、私は、この声を特別なものと思っていませんし、与えられたものとも思っていません。私の声と、私の活動とは、全く関係ありません。

Q:あなたが70歳になった今、あなたの人生において、「クラウト・ロックの女王」と呼べる代名詞があります。過去も、現在も、そう呼ぶことができます。あなたは、自分自身のことを、「クラウト・ロック」の代表として、感じていますか?

A:どう答えたらいいでしょう?世間が言うのならそう従います。でも、それは過去の時代の言葉です。そう、’70年代の。私たちドイツのミユージシャンは当時、「クラウト・ロック」と呼ばれていました。ドイツ人が食べるザウアークラウトから名をとって、英国人から、やや皮肉を込めて、そう呼ばれました。略して、「クラウツ」とも。でも、そのイメージは、もう遠い昔のこと。

Q:あなたは、本当にデビューしたての時から、ヒット路線を走ってきました。あなたは、どうその道を歩んできたのでしょうか、簡単でいいのでお答えください。

A:「シティー・プリチャー」の時代に、私はあるレコード会社に所属していました。ある時、会社からシングルを出すことを薦められました。それは、あるヒット歌手に順位を競う番組に出場させるためでした。私は、それに同意しました。他のヒットミュージシャンと接触するいい機会であったからです。しかし、出場してみて分かりました、それは、私には合わないと言うことを。私は、全体で第6位をとりました。でも、私の望むものではありませんでした。

Q:あなたは、ロックで、本当に有名になりました。でもそれは、インガ•ルンフのほんの一面なだけでした。やがて、あなたはゴスペルとジャズに没頭しました。年齢と共に、ロックから離れたと言うことですか?

A:それは違います。ゴスペルとジャズにこそ、私のルーツがあります。私の音楽の始めは、ゴスペルとブルースからです。私は、その中で育ったのです。第二次大戦後は、アメリカからの音楽が周りにありました。ブルース、特にゴスペルは、私にとって、ある種の解放でした。つまり、’90年代になって、再びゴスペルに戻ったということです。なぜなら、ゴスペルは、喜び溢れる歌であるし、何となくリラックスして、私の信念に寄り添えるからです。それに、教会で大きな声で歌えることもいい。私たちは、ハンブルグのミカエル教会に、小さな頃から出入りしていましたし、そこで、もう一度大きな声で歌いたくなったのです。私はそこで、かれこれ10年間歌っています。新年コンサートもそこで行いました。また、17年間連続で、この教会で、オートバイで礼拝に来る信者たちを対象に、コンサートを行っています。

Q:オートバイでやって来る人たちというのは、信心深いのですか?

A:ここで、ちゃんと答えなくてはいけませんか?その点は、どっちつかずということにしておきますか。教会側との兼ね合いもありますし、、、。

Q:あなたは、現在のドイツ音楽をどう思いますか?どこが好きで、どこが嫌いか?今日のドイツの音楽シーンは、とても、幅広いと思いますが。

A:幅の広さは、とても素晴らしいと思います。チャートインするにふさわしい多くの新人のミュージシャンたちがいます。彼らは、素晴らしい曲や詞も書きますし、私たちの時代とは、すべてが変わっています。私は、舞台の袖から見守っていき、私自身は、ブルースとロックに情熱を注いでいきたいと思っています。

Q:あなたは、ドイツ語による詞、ドイツ人による曲は、進歩したと思いますか?

A:進歩したと言っていいと思います。しっかりと確立しています。バンド「トン・シュタイネ・シェルベン」や、ロック歌手「ウド・リンデンベルク」は、ドイツの日常の言葉を、うまく曲に取り込みましたね。それは、ドイツ語ロックの進歩と言えます。彼らは、今日の音楽シーンのパイオニアと言えます。

Q:では、今日の音楽シーンは、あなたの時代とは、全く違っていると思いますか?

A:全く違うとは、思っていません。ただ、取り巻く環境が昔と少し違っています。音楽で大切なことは、気持ちの表現です。それは、昔も今も変わりません。かつてレコード会社が、その環境を作っていました。でも、今は、様変わりしています。多くのバンドは今、独自のレーベルを持っていますし、リハーサルに、それほど多くの時間を掛けません。私たちの時代は、数週間スタジオにこもったものです。でも今は、MP3で送って、自宅で準備をして、舞台に立ちます。それが今のやり方です。

Q:あなたは、あまりプライベートな事を話したがらないと伺っていました。それでも今日、私の質問に答えて下さったことに感謝します。ところで、あなたの70歳の誕生日は、どう祝いますか?

A:お祝いは、友達だけの小さなグループでやります。私が長年住んだこの町で、そう大きくない誕生会を開きます。

聞き手;Martin Böttcher (2016,8,2) 訳;Yoko Yoshimoto 協力;Werner Zitzl


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