• Yoko Yoshimoto

ランダースアッカー村のお話(フランケン地方)


ランダースアッカー村は、フランケンの中心地であるヴュルツブルクから、5kmほどに位置するワイン産地。フランケン地方のワインの中では、多く日本に輸入されている村である。その風光明媚なワイン産地、ランダースアッカーの地名は、1123年に初めて文献に現れる。その名は、「ランターの耕作地」から由来する。マイン河のデルタ地帯に現れては消えた村で、当時3つの農園があったとされる。それは、多くの移民が流入した、中世の頃である。


この地の「ワイン農園」としての、最初の文献の記述は、779年にある。その後、2000以上の名のある畑と、最高で7500株のブドウ樹へと拡大していった。そのうち、現在まで残る畑は、7つ。悪魔が名前に載った数少ない畑、トイフェルスケラー(Teufelskeller;悪魔の酒庫)。プフュルベン(Pfülben;大きな枕)と名の付く畑は、中身のみっちり詰まった、膨らんだ枕の形に似た地形から由来する。岩盤が鋭く亀裂して出来た台地で、日当たりが良く、開けた畑である。マルスベルク(Marsberg;マルスの山)は、タイルハイムへと向かう、谷の片側斜面にある。ゾンネンンストゥール(Sonnenstuhl;太陽の椅子)と呼ばれる畑は、日だまりにそびえる一つの大きな椅子に擬えて付けられた。 後は、山の礼拝堂が立っているレンマーベルク(Lämmerberg;神の子羊)。そして、集合畑ではあるが、名前が印象的な、エヴィッヒ・レーベン(Ewig Leben;永遠の命。永久の封土の意も)。そして、ランダースアッカー村の南に位置しているダーブーク(Dabug)の以上の7つ。このうち、前半の4つの畑(トイフェルスケラー、プフュルベン、マルスベルク、ゾンネンストゥール)が、マイン河沿いに向かう南西向きの斜面であり、この地の代表的なワインが造られる。現在、17の蔵元と、ワイン製造業者、並びに、農協がある。合わせて、およそ243haの栽培面積。


ワイン生産の歴史


カール大帝の書簡に、ヴュルツブルクの市の催事についての記述が、779年10月14日の日付にある。これは、最も古いドイツ語表記の文書の一つで、1200年以上前のランダースアッカー村に、ブドウ畑があったことの証明となっている。


また、「十分の一税」の内容を記したものに、1332年と1333年のブドウの収穫量が、ラテン語で書かれている。そこには、「誰それの1332年のワインは、260樽をこの税関で、十分の一税として課せられる」とある。しかし、翌年は、わずか12樽とある。


当時のブドウの収穫量の記載では、年による差が2290hlから106hlとある。それは、豊作と凶作を表している。安定しない小作料と、年により大きな収穫量の増減。ブドウ農民たちは、その畑の収量でしか、食っていくことが出来ない。のんびりと野菜を作る、穏やかな農民と、ハードな仕事を課せられるぶどう農民とは、内容が全く異なっていた。その当時、ワインを作る人たちは、農民よりも、村民の方が多かったらしい。


当時のブドウ農園の所有者は、エーベルバッハ修道院、ハイルスブロン修道院、ラングハイム修道院、オーバーツェル修道院、そして、ヴュルツブルク司教、大聖堂の全聖職者などの宗教的支配者であった。他、非宗教的な支配者として、カステル伯爵などが有名。

18世紀になってからの所持者の構造は、ワイン畑323 haのうち、騎士領が6枚、宮廷領が31枚、個々の醸造所が40枚の畑を分割して所有していた。


19世紀のランダースアッカー村のワイン生産地域は、北部バイエルン地方の貧しい地域と連接する被災地の一部であった。しかし、グリム兄弟の書いたドイツ語辞典には、既にこう解説されている。「ヴュルツブルク近郊の1枚のワイン畑、プフュルベンは、1822年に最も高い値で取引されて以来、その記録は破られていないと、1872年の12月にフランケン・ジャーナル誌に記されている。ぶどうのよく育つ畑であり、良いワインが出来る」と。


近代のワイン産業の功労者


セバスチャン・エングラート(1804-1880)

ランダースアッカーの地区管理者、フランケン地方の近代ブドウ農法の発案者、交配品種ブケットレーベの開発者、そして、フランケン地方の最初のワイン栽培学校の創設者。彼は、急斜面の畑を選別し、それに相応した安定した小作料を得ることを目指した。彼のモットーは、飲料として量産に走るのではなく、村民の生活の質を向上させ、地域を魅力あるものにすることだった。


ルートヴィッヒ・シュミット(1873-1957)

二代目の市長、産業復興に貢献したことによる名誉市民、ランダースアッカー村の農協の創設者(1921)。


ゲルスベルクから採掘された貝殻石灰岩は、ランダースアッカー村の多くの家計を支えた。ヴュルツブルクの古い建造物は、ランダースアッカーの石灰岩で建てられている。その他、ドイツの多くの州でも使われた。ガルバッハの憲法の記念碑は、ここの石を使って、建築家レオ・フォン・クレンツェによって設計された(1828)。


よく働くランダースアッカーの人々


フランケン中心地へと直接繋がるマイン川沿いに走る村道、ヴュルツブルク・オクゼンフルト通り(現在は、連邦道路13号線、通称、ボックスボイテル通りと呼ばれる)は、市場を動かす、商業に有利な最善の物流拠点だった。他方、魚の豊富なマイン河の恩恵を受け、この地で2番目に大きな漁業組合(ギルド)が発達した。この地の利を生かして、数世紀以上にわたり、ランダースアッカー村の人々は、根気強く畑を耕し、この土地を豊にし、ワイン産地としての知名度を上げた。


また太古より、グルメや大食らい達が、ランダースアッカーの地に惹かれてやって来た。およそ60万年前の更新世の温暖期には、ヨーロッパバイソン、熊、象、サイなどの動物たちが、このランダースアッカーに移動し、喉の渇きを癒した。この地で発掘される化石は、学術的にも有名である。この食欲旺盛な動物たちの後、12世紀から、ヴュルツブルクの司教、修道院長、伯爵、騎士たちが、このランダースアッカーに勢力を伸ばし、宗教的、世俗的な支配者として、このボックスボイテルの滴に浸った。


今日、世界から旅行者や保養客たちがやって来て、居酒屋やワイン蔵で、舌の肥えたグルメたちが、食を楽しみ、酔いしれる。


作;Markt Randersacker   訳;Yoko Yoshimoto


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