• Yoko Yoshimoto

「土が生きるためには(後編)」


では、別の基盤岩の上を見てみましょう。その原始の土は、深い黒い色をしていますか?違いますね。それは、温まりやすいでしょうか?そこには、常に花が咲き続けるでしょうか?その土は、ミネラル分が乏しい。でも、そこらの道の溝にある様に、草は生えます。しかし、植物の成長にとっては、それほど優れていません。それは、ランカー(土壌型の一つ。ケイ酸質岩石から発達した土壌)です。つまり、それほど、深く根が張りません。すべてが、ゆっくりと進んでいきます。でも、もし、長い期間、乾燥したのなら、再び急いで地中へと根が進み始めます。それが、2000年の歳月を経ると、そのランカーは、茶色の土となり、植物にも、人にも喜びを与えます。そして、素晴らしい、野菜畑を作ることが出来るようになります。しかし、原始の頃のランカーは、植物の成長に、それほど向いていません。まとめますと、私達には、この2つの土があります。それは、すべて、石灰かケイ酸かという世界です。そして、ここで重要な点は、私たちは、常にこの二種類の土の複雑なバランスの中で、仕事をしているということです。私たちは、この視点から、私たちの土は何なのかを、常に観察しなければなりません。そして、時間のある限り、ミネラルとのバランス、成長とのバランス、生物とのバランス、調合剤とのバランスなどを踏まえた上で、どのような処置があるのか、どのような可能性があるのかを、考えなくてはなりません。つまり、土もまた、私たちのヴィオディナミの関係の中にあり、この2つの土とのバランスを意識するということなのです。そして、私たちは、当然、この2つの土の調和を保つ、素晴らしい調合剤を持っています。それらは、全く異なる意味を持ち、けれども、互いに作用し合っているのです。少し話が逸れました。話を元に戻します。石灰岩土壌。一つの例として、ワイン産地が挙げられるでしょう。ドイツのフランケン地方、ヴュルツブルクのワインはどうでしょう。貝殻石灰岩、ジュラ紀の石灰岩などが、特徴的です。多くのフランスのワイン産地にも、それは見受けられます。ここに、一つのとても小さな谷があるとします。そこには、小川などありません。つまり、乾いた谷です。皆さんは、既にその谷を歩いているのですが、気がつかないだけです。いつでも注意深く観察しなくてはなりません。すると、自然全体が見えてきます。そこには、水が染み込んでいきます。それは、無意識の中で起こっています。皆さんは、それに興味がわかないだけです。その世界は、乾いています。しかし同時に、その世界は、花々が咲き誇り、信じられないほどに、とても多くのさまざまな種が存在していて、多様性に富んでいます。多くの虫の種類、素晴らしい虫たちの世界が広がっています。たった一つだけということはありません。多くのものが生まれます。そこでの農業は、収量は落ちます。でも、人間は、大量生産を必要としない生活をするべきです。そこに、ケイ素の土壌。それは、水を貯めます。そこでは、木々が、正しく、力強く、大きく、高く育ちます。すると、少し影になります。何回か、伐採し、藪を作ります。すると、十分に日を入れることが出来ます。そして、時々、水はけにも気をかけましょう。それが、ケイ素の土壌。この2つの土の世界をお分かり頂けたでしょうか?

次のテーマは、粘土です。粘土は、どんな役割を担っているのでしょうか?それを、はっきりさせることは、とても重要です。粘土は、全く特別なものです。なぜなら、土の形成の段階には、まだ存在しないからです。まず、母岩が風化して出来る土を一次鉱物と言います。それらは、アルプスや、あるいは、バルト海の砂の上を歩く時に観察できるものです。しかし、そこには粘土はありません。では、粘土はどこから来るのでしょう?粘土は、土の中で形成されるのでしょうか?粘土とは、二次的に形成されるミネラルを含んだ土です。それは、石灰の優位性が弱まる時に生じます。これはとても大切なことです。pH値が少し下がる時、つまり、少し酸性にならなければなりません。すると、粘土が形成されます。一人の素晴らしい土の専門家が言っています。ローマ時代に作られたリメス(境界防壁)のことです。現在、リメスの周りには、粘土があります。いわゆる、茶色い土です。しかし、リメスの素材の中には、粘土がありません。リメスは、2000年ほど前に築かれました。高さが10mのものや、20mのものが数多くあります。私は、多くを観察しました。そこで、時代を経たリメスを、はっきりと認識することが出来ます。リメスは、森の中のどこかしらにあって、平地に20mばかりの高さに築かれています。平らな地面には、粘土を見つけることが出来ますが、2000年前の建築の時点には、リメスの中に粘土はないのです。しかし、数千年の歳月をかけて行われるプロセスによって、粘土がリメスの中に生じるのです。この建造された土の中に生じるのです。あるいは、石灰の優位性の減少により、このプロセスが起こると、言い直すことが出来ます。これは、奇跡のような、素晴らしいことです。ある意味、純粋なミネラルの減少とも言えます。また、粘土は、生命の存在の境界線とも言えます。粘土は、ふやけたり、萎んだりします。石にはそれは出来ません。そこに、生命が存在し得る機能があります。粘土を、電子顕微鏡で観察すると、あらゆる可能性を、粘土が持っていることが分かります。特別に良い粘土ほど、ミネラルが少ない。それは、生命にとって、柔軟な一面であるということです。私たちは、この粘土によって、ミネラルから変化した、生命への恩恵を受けているのです。

さて、次のお話に進みます。畑を豊作にするよう努力していくこと、言い換えて、本当に正しく土と付き合っていくこと、それはどういうことでしょうか?それを今からお話しします。ヴィオディナミの環境の中の生物たちは、ただ、その環境の中に、喜んで健康に共存しいるだけではありません。生物なしでは、持続的な発展や、豊作はないということを、理解しましょう。そのプロセスを、ここで少し正しく考察してみたいと思います。先にもお話ししましたが、私たちは、さまざまな作物を栽培しています。牧場や、草地、畑など、私たちの農業は多彩です。そこには、栄養や食物に関するもの、つまり、家畜の餌というものが必要になります。その餌になるまでの流れについて、人々の仕事、活動、知識、感情などの観点から、考えてみたいと思います。それには、肥料の作り方を見る必要があります。ここで、私たちは、もう一度、動物の行いに焦点を当ててみなくてはなりません。すると、それは他に代替のないものであることが分かります。私は4、5年前に、中国のある農家の元に行きました。彼らは、ヴィオディナミ農法をしたいと言うのです。しかし、彼らは、少し奇妙でした。そこには、ある大学の教授が一人、居合わせていました。彼は、彼の研究室に私をぜひ案内したいというのです。私の分のチケットも既に持っている、と言った具合に。彼は、牛の体内の消化を再現するマシンを開発していると言うのです。人呼んで、「ヴィオ原子炉」なのだと。彼はその写真を私に見せました。私は見に行く気など全くありませんでした。実に下らない話です。でも、そんな話は、よくあるものです。人より早く発明して、大金を稼ぎたいという。私は、唯一言いたい、マシンでは、機能しません。なぜ、機能しないのでしょう?何が必要なのでしょう?それは、気持ち、動物への愛情が必要だからです。道具や餌や、堆肥が何になるかなどということは二の次。まず始めに、ここに今、動物が生きているということ、そして、全ての時間、それに携わっているということ。何に携わっているのでしょうか?植物が育った時のその力だとか、次にそれを消化されたモノに変える力だとか、その様な行いです。それが、本質です。とてもとても大切なことです。それを繰り返し観察することです。現場では、何が起きているでしょう?牛が喧嘩をしない、傷つけ合わない、問題のない穏やかな仕事の環境が必要です。これは、結構大変な仕事です。まず、人間の消化をよく考えてみることです。そして、その土地がさらに発展していくためには、何が必要かということを見極めることです。それがいわゆる、豊かな土地にしていくという核心です。そのことを、人間は軽視しています。反芻動物には、それが出来ます。でも、私たちには、それが出来ません。私たちは、どんなマシンを使っても、それは出来ないのです。私たちは、ただ守り、世話をし、保存し、養うことだけしか出来ません。それは、どんな仕事でも同じです。こんな話をすると、ヴァルドルフ教育のことを、少し思い浮かべますが、全く違います。ここでは、現実的な、しっかりとした材料、物質のことです。それは、炭素と窒素です。牛はいわば、さまざまなバクテリアを使って分解のプロセスを行います。そして、食物繊維にある炭素化合物を反芻することで、胃の中の微生物が喜んで、窒素化合物をタンパク質に転換します。それは、アンモニア臭として確かめることが出来ます。それはまた、動物の体内で硝酸塩などとして存在します。私は、残念ながら体内にそのプロセスを持ちません。それは、明らかです。ヴァルドルフ教育が、それを教えたのでありません。牛たちは、そのプロセスを見事にこなしています。それは、紛れも無い事実です。この消化のプロセスを、私は生徒と一緒に、年に一度、動物を解剖して観察します。そして、いかにこのプロセスが素晴らしいかを理解するのです。たとえ、解剖を嫌がる人がいても行います。ヴィオディナミ農法の実行者が、一生のうちに、それを見たことがないということは、有り得ないからです。学んだこと、そのものが、牛の体内で見ることが出来ます。この動物の体内で起こる、神秘に満ちた世界。それは、精神と肉体を通して一貫して、繰り返し行われているもの。しかし、そのプロセスの核心を、人間ははっきりと確かめることが出来ません。イギリスで、一つの試みがあります。19世紀に行われたことです。私は、それと同じことを、1920、30、40年代に、もう一度取り組んでみました。そこに、大麦だけを栽培している2つの畑がありました。一つの畑には、それほど多くない量の牛糞堆肥を撒き、もう一つの畑には、それを全く使用しません。それを20年続けた後、一つの畑に肥料を撒くのをやめました。その後、更に20年間、今度は、両方の畑に堆肥を撒かずに、大麦を栽培し続けました。先に堆肥を撒いた方の収穫量は、段々と下がっていきました。しかし、ある程度の量は収穫できました。しかし、この2つの畑には、違いが見られました。それは、収穫量のことではなく、品質の面です。土の成分構成に違いがあったのです。この信じられない、動物の神秘的なプロセスの長く続く効果。それは、量の問題ではなく、品質にあるのです。

さて、次のテーマに移ります。先に話したミネラルについてのこと。土に関わる全てのこと、それは、ある意味、ミネラルと光に関することです。私は、この話を長すぎるほど長くお話しました。そこで、私たちは、植物の活力とミネラルの活力を知りました。それと、土は単独では存在しない、また、植物なしでは土は存在しない、つまり、土と植物が共にあることも知りました。そして、その活力が、いかに天から、いかに植物の命を通して、土へと授けられるか、それら無くして、土は生まれないのです。そして、生物がいなくても、土は生きて生けないのです。ここで、生物の行いを考えてみましょう。牛を見れば、それを良く理解出来ます。牛や、他の反芻動物は、食べた餌を分解します。また、スズメやツバメ、ミミズの行いも、軽んじて見てはいけません。彼らも、ある決まったやり方で、同じ基準で、牛と同じことをします。それは、彼らの感覚や意識が行っていることです。それは、どの生物にも組み込まれています。それは、私たちが決して持つことが出来ない意識。ミミズが何を持っているでしょうか?「いつ雨が降るの?」と、もし人間が彼らにインタヴューできたならば、どうでしょう?乾燥してくると、彼らはすぐに土の中に潜ります。彼は、意識を持っています。逆に、雨が降りそうになると、すぐに彼らは土から出てきます。私たちには、それが分かりませんし、彼らに聞くことも出来ません。信じられないほど知的です。でも、それは、いかに集中し、いかに察知しているかという、彼ら自身の中にある特有の意識の中にあるものです。彼らの知識は、ある関係性を作っています。土の中の奥底から、地上までの関係を構築しています。ツバメは、私たちの畑の中で、関係性を作っています。畑の近くの藪や茂みは、彼らの住処になっています。彼らがさえずることにより、栽培する穀物もよく育つのです。環境保護運動は、「沈黙の春」から始まりました。ご存知ですよね、レイチョル・カーソンの著書です。これは、真実です。私たちには、生物が不可欠であり、彼らもまた、その関係性を必要とします。これは、全く明白なことです。人間はそれを知っていなくてはなりません。つまり、こうも言えるでしょう、牛のために、ツバメがいると。スープに塩のようなものです。牛がスープなら、ツバメはその味付けです。より美味しくなるのです。それは、観察すると分かります。そして、私たち農家は、全体を見る仕事です。肥料の施しや、調合剤を使用することなどだけでなく、それらの仕事を、目標に向かって実行し、その仕組み全体をまとめ上げていくこと。それは個々の動物が行っていることの様に。そう、シュタイナー氏は、個々の関係について説きます。私たちは、毎日とても多くの仕事をしています。そして、今ここで私は、もっと皆さんに要求をします。それは、厳しい言葉です。けれど、皆さんに言わなくてはなりません。それは必要なことなのです。でも、もし皆さんが、ただパソコンの前で座っているだけなら、全く必要ありません。昔の大農場主は、もっと違う場所にいました、まだパソコンが無かった時代です。しかし、原則的には、今も全く同じことです。皆さんは、昔と同じことをすればいいのです。皆さんは、昔と同様に、畑から見える、それぞれの個々の関係を結び付け、仕事を進めていくのです。その関係とは、動物、土、転がっている木材、畑に掘った溝、コンポスト、肥料など、それぞれにあります。そこから、豊作につなげていく。あなた方が取り組むこととは、それが唯一です。シュタイナー氏は、その個々の関係を言っているのです。私が今日、一番言いたかったことです。これは楽しいことです。ヴィオディナミ農法には、それが出来ます。もちろん、最終的には、私たちは当然、市場に出さなくてはなりません。ジャガイモを選別したり、小麦粉に加工したりしなくてはなりません。しかし、その前に一度、個々の関係を少し考える時間を作ってみて下さい。そして、それを常に発展につなげていって、喜びや楽しみに結び付けていくことを。ここで私は、もう一つ言いたい。それは、単なる楽しさだけでなく、慈しみであるということを。自然と接する上で、それはとても効果のあることです。それを、肯定的に、素直に、規則正しく、取り組んだのなら、何かが起こります。私は、それを「慈しみ」や、「贈り物」という言葉で表現します。私の体験から言うと、ある日突然、何が重要であるかが分かるのです。これは、とても小さな贈り物と言えます。人は、この多くの重要でない様に見える、ありとあらゆる事柄から、ある日突然、本当に重要なことに気がつくのです。そして、それに取り組まなくてはならないと気づくのです。その様な贈り物は、個々の関係に配慮する努力、つまり、動物の消化のシステム、土を豊作にさせるシステムを実行することで、自分に与えられます。この努力と、その贈り物、何と素晴らしいことでしょう!

ここで私は、あなた方に、一つの詩を贈ります。この詩は、その努力に贈られます。これは、私にとって、とても大切にしていることです。皆さんは、書き留める必要はありません。たった3、4語をグーグルで検索すれば、出てきますから。でも、一度読めば、書き留める必要はありません。いつの日にか暗記してしまうからです。そして、本当に仕事が面白くなってきます。なぜなら、どう進むべきかのヒントとなるからです。これは、晩年のゲーテの詩です。彼が好んで出かけた、ある場所の情景を、彼らしい表現で読み上げています。それを今から、皆さんの前で読みます。私は、空でそれを読めます。少し、緊張していますけれども。


早朝に大地の霧が晴れて

花々が開き、喜ぶ

太陽に抗っていた雲も

東風に追いやられた

ありがたいことです

明るい日の下で働き、楽しむ

やがて西陽が赤く染まる頃

水平線が金色に輝く


この素晴らしい詩。早朝から、正午、そして、夕暮れへと、、、ありがたいことです。そして、何かが起こります。もう一回読みましょうか?では、皆さん、ご機嫌様。


作;Martin von Mackensen (2018,10,29) 訳;Yoko Yoshimoto 協力;Werner Zitzl