• Yoko Yoshimoto

「ベートーヴェンについて〜10の基礎知識」

最終更新: 4月17日



・なぜ、ベートーヴェンは、耳が聞こえなくなったのか?彼は、それほど気むずかしい性格だったのか?ベートーヴェンの生涯については、さまざまに語られている。この世界的に著名な作曲家には、未だに多くの謎がある。


1,ベートーヴェンの生涯

ベートーヴェンの生誕日について、古くから伝えられていることは、1770年12月17日に洗礼を受けたとされる。既に子供の頃から、ピアノと、オルガン、ヴァイオリンを学び、7歳で最初のコンサートを開く。12歳の時には、「乳飲み子へのリート」、「あるプードルの死の哀歌」などの面白いタイトルの曲を作った。1792年に、ベートーヴェンは、ウィーンに移り、その地で生涯を過ごした。そして、1827年3月26日に56歳で他界。死因は、おそらく肝硬変。


2,「エリーゼのために」;ベートーヴェンと女性

このテーマも、ベートーヴェンの研究においての謎の一つである。ベートーヴェンは、すなわち、結婚していない。彼のおそらく最も有名なピアノ曲、「エリーゼのために」は、ドイツ人のオペラ女性歌手のエリザベート・レッケのために書いたとされている。彼は、彼女に求婚もしたとされている。「ウィーンでのベートーヴェンは、常に恋愛をしていた」と、彼の友人のフランツ・ゲルハルト・ヴェゲラーは記している。ベートーヴェンの遺書の中には、ある一人の無名の女性への恋文が見つかった。「永遠の恋人」として残るその女性は、一体誰であったかは謎である。しかし、最近書かれた伝記の中では、有名なブレンターノ・ファミリーで、既婚者でもあった、アントニーエ・ブレンターノではないかとも言われている。


3,人間としてのベートーヴェン

おまる(便器)を、午後になっても、まだピアノの下に置きっぱなし、食べ残しが楽譜の間に挟まっている、小太りで、顔にはあばたがあるなど、それもまた、ベートーヴェンの一面。若い頃は、陽気で快活を装っていて、晩年は、地が出て、気難しく、怒りっぽかったとされている。彼自身その理由を、耳が聞こえなくなったせいだと、ハイリゲンシュタットの遺書の中で記している。また、甥カールの後見人として、ベートーヴェンは、カールを厳しく教育した。カールは、その厳しさのあまり、自殺未遂までする。


4,ベートーヴェンとクラシック

このもじゃもじゃ頭の作曲家は、音楽的な革新派として、またロマン派のパイオニアとして有名である。交響曲第9番の中に、コーラスを組み入れたことも、それまでの交響曲にはなかったこと。また、戯曲の作曲も手掛けた。彼は、交響曲第5番に代表されるように、短いモチーフを繰り返すその手法に、高い価値を与えた。ベートーヴェンは、交響曲、ピアノ協奏曲、弦楽四重奏曲、オペラで、およそ240の作品を作った。


5,天才と完璧主義者

ベートーヴェンは、完璧主義者だった。彼はその時代の人々のために作曲したのではなく、後世の人々のために作曲した。彼は、夜遅くまでスコアの修正を繰り返し、作品に磨きをかけた。後世の人のための曲作りは、今日世界に広く、最も多く演奏された作曲家であることに証明されている。存命中より、彼は作曲で生活ができた。その時代の有力な貴族たちから、多くの作曲を依頼された。


6,唯一のオペラ

オペラ「フィデリオ」は、劇場ディレクターであった「ペーター・フライヘル・フォン・ブラウン」から委託された。1805年の初演、そのオペラは酷評された。ベートーヴェンは、序曲を3回修正・改変し、4番目の序曲で成功した。ストーリーは、フランス革命の実際の史実に基づいたもの。男装した一人の勇ましい女性が、ジャコバン党員らの牢屋から、彼の夫を助け出すという展開。


7,ベートーヴェンと革命

ベートーヴェンは、音楽だけでなく、哲学、文学、そして、政治にも興味を持った。彼の音楽の初期の段階では、好んで英雄に信頼を寄せた。彼は、フランス革命に注目し、そして、ナポレオンに、シンフォニー第3番エロイカを捧げた。ところが、1804年のナポレオンの帝位に失望し、ベートーヴェンは、献呈の文字を表題から掻き消した。


8,タ-タ-タ-ターン;ベートーヴェン の第5番

1808年のベートーヴェンの第5シンフォニー「運命」は、世界的に有名だ。第一楽章のモチーフは、まとまった4つの音から出来ている。ベートーヴェンは、全部で9つの交響曲を作った。それは、41作品を超えたモーツァルトと比べると遥かに少ない。しかし、有名なオーケストラは、彼の9つのシンフォニー全てを、レパートリーとしている。ベートーヴェンのシンフォニーが持つ、内容の厚みと音の強さに、後世の作曲家たちは圧倒された。シンフォニーの「9」という数に関しても、後世に影響を与えているようだ。グスタフ・マーラー氏、あるいは、アントン・ブルックナー氏は、シンフォニーで9つの数を超えることができなかった。


9,ベートーヴェンの第九は、万物の尺度である

有名なベートーヴェンの第九と言えば、なんと言っても、シラーの詩「自由讃歌」から作られた「歓喜の歌」のコーラス部分だろう。彼が第九を作曲した時、彼は既に耳が聞こえなかった。つまり、1824年5月7日の初演の際、その演奏と聴衆の熱狂的な拍手は、ベートーヴェンには聞こえなかった。第九シンフォニーは、今の時代まで影響を及ぼし続ける。1970年、ベートーヴェン生誕200年の記念の際に発売された“A Song of Joy“は、「歓喜の歌」をアレンジした作品。世界的にヒットし、ドイツでは、ヒットチャートで15週連続1位につけた。また、1985年以降、EU(ヨーロッパ連合)の歌は、「歓喜の歌」が採用されている。また、70分という第九シンフォニーの長い演奏時間は、CDの収録時間にも影響を与えている。有名な指揮者、ヘルベルト・フォン・カラヤン氏は、ベートーヴェンの第九シンフォニーを1枚のCDで聞くことが出来なければならないと、CD開発者に進言し、CDの収録時間が80分に決定した。


10,耳の聞こえない作曲家

27歳の時に既に、ベートーヴェンは難聴であった。48歳の時には、彼の耳は完全に聞こえなくなっており、常に耳鳴りに悩まされていた。最新の調査によれば、ネズミノミから感染するチフスが、その原因とされる。それでも、彼は作曲を続けた。ベートーヴェンは絶対音感を持ち、体に響く音の共鳴で、それを推測したとされる。その当時の治療法は、痛みを伴い、それによる炎症も引き起こした。それにも、ベートーヴェンは苦しんでいた。彼は孤独で、変わり者になったと語られる伝記は、そのような背景を思慮されなければなるまい。



作;Gaby Reucher(2015,9,1) 訳;Yoko Yoshimoto

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