• Yoko Yoshimoto

「フルート奏者、マルクス・シュタイナー氏に聞く」

最終更新: 4月17日


・数十年来、ベルリン放送交響楽団は、ベルリン放送合唱団と共に、毎年大晦日に2回、ベートーヴェンの第九シンフォニーの演奏を行なっている。今回、ジャンダルメンマルクトにあるベルリンコンツェルトハウスにて、フルート演奏者のマルクス・シュライター氏にインタヴューを行った。聞き手は、ウヴェ・フリードリッヒ氏。*「 」内の言葉が、マルクス・シュライター氏。


マルクス・シュライター氏は、16年来、ベルリン放送交響楽団のフルート演奏者として活躍する。そして、今年もまた彼は、年末に2度、この有名なニ短調のシンフォニーを演奏する。彼が、このオーケストラに来た時の指揮者は、マレク・ヤノフスキ氏だった。


「このオーケストラでの私の最初の14年間は、この第九シンフォニーを、ずっとヤノフスキ氏の指揮の元で演奏してきました。しかし、それは毎年、常に同じではなく、転換と発展と変化が繰り返されてきました。そうでなければ、演奏にマイナスの概念を作ってしまったことでしょう。」


1824年5月7日、第九シンフォニーの初演の日、指揮を終えたベートーヴェンは、観客が大喝采していることを、他から教えられて初めて気がついた。なぜなら、彼は完全に耳が聞こえなかったからだ。このシンフォニーの結びのコーラス「歓喜の歌」の高揚感は、今日どの演奏会でも、お決まりのものとなっている。しかし、演奏者は必ずしも満足をしているとは限らない。指揮者のマレク・ヤノフスキ氏は、第九の演奏の後、この作品が彼にとって、常に道半ばであり、常に完成していないことを、あっさり認めていると、シュライター氏は言う。


「つまり、私たち演奏者も、それと違わないです。私は、その人が、どんなタイプの演奏家なのかを知ることが好きです。例えば、その演奏家が、バッハ・シャコンヌ、あるいは、バッハ・パルティータなどを、これまでの人生の間、数十年演奏してきたとします。そのことが、演奏家として、芸術家として、音楽を追究していく者として、成長させていく。オーケストラの場合も同じで、そのチームが、何を演奏してきたか、例えば、ベートーヴェンのシンフォニー、中でも、第九シンフォニーを長年演奏してきて、それぞれが常に成長し、そして、新しいことを発見するということが。」


教養ある市民階級の人々が、ベートーヴェンという人物と、彼の作品の総体を崇拝し、孤高の芸術家として美化し続けてきて、そこに一つの決まった観念が生じている。つまり、彼の音楽は、出来るだけ、英雄的に、激情をもって演奏するという。


「コンサートの来場者の意見を聞くと、そう感じさせられます。誰もが、その様に聴きたいという、固定されたイメージ、また、彼を研究することで、その様に結論付けたがるという。しかし、私は今まで、ベートーヴェンをその様には、聞いてきませんでした。また、それが好きか、嫌いかでもないのです。ここで、はっきりと申し上げておきますが、私は、来場者のその様な思いや、期待に応えるために演奏をしていません。」


聴衆や評論家だけが、コンサートの批判をしたり、称賛したりするのではない。演奏者自身もまた、大抵とても現実的な評価をしている。大方の演奏家は、自分自身に批判的だ。月並みで、保守的なファンが批判するのとは違って、はるかに偏見のない、素直で新しい判断で批判をする、とシュライター氏は言う。


「例えば、人がそれを今、ダメだと言った。すると、彼が何をした?彼女が何をした?となる。もう、そのような批判に反応する癖をやめようと思っています。なぜなら、その批判する頭を捨てることによって、一つのとても良い楽曲を素直に認めることが出来るからです。なぜ人は、そんなにすぐに批判をしなくてはいけないのでしょうか?」


かつてベートーヴェンは、歌手に対して常に能力の限界まで要求をした。それは、オペラのフィデリオであったり、第九シンフォニーであったりと。一方、オーケストラのメンバーに向けられた要求は、歌手ほどきつくはない、とシュライター氏は言う。


「オーケストラにとって、ベートーヴェンのシンフォニーは、特に、技術的に評価されるという意味で、常に一つの基準、あるいは、一つの尺度の様に思います。しかし、それはオーケストラにとって、とても特別な挑戦に臨むことであり、それを乗り越えていくことは、とてもやり甲斐のあることです。最初は、指揮者からも独立して、その作品を解明しようとします。でも、オーケストラ全体で、挑戦していくことがベストです。」


プロのオーケストラとして、常に練習を繰り返し、同時に再生していく。その再生とは、変化し得る再生だ。シンフォニーを演奏することは、オーケストラの演奏者にとっての、日常の仕事。ベートーヴェン生誕250年を迎えて、多くの作品が演奏されることだろう。そこで、これまで大学で研究された作品の解釈も、とても助けになる。


「例えば、交響曲第6番『田園』について、取り上げてみます。「田園」は、楽器を使って、情景描写をしている作品です。つまり、小川の音をヴァイオリンで表したり、雷の音をティンパニーで表したりする「擬音」の手法をとっています。私は、擬音を演奏材料にすることは、不可能であると考えています。何も私は、その手法を悪者扱いにしているのではありません。時として、それは表現の助けにもなり、時として、いい効果をもたらしますから。でも、擬音を演奏手法に取り入れることは、困難です。演奏家は、特定の制約の元で楽器を演奏します。技術的な制約、リズムの制約、そして、それらの制約の中で、音楽を追求していきます。しかし、それはとても面白いものです。オーケストラの演奏者として、一人の指揮者との共同の作業で、完成に向かっていくことは、とてもエキサイティングです。」


作品は、数年かけて、そして、数百年かけて、変化していくもの。繰り返し、変わって理解され、変わって演奏されていく。ベートーヴェンのシンフォニーの初演は、おそらく、現代と比べ、かなり小さいホールで行われたと思われる。楽器の響きは、今と違っていたことだろう。その時代の演奏家たちは、ベートーヴェンの新しいスタイルに、今とは全く違う要求をされたことだろう。長年に渡り、彼の作品と共に歩んできた、今の演奏家たちに向けられる要求とは、異なるものだ。その演奏の歴史の意識を研ぎ澄ますために、ベルリン放送交響楽団の今の首席指揮者、ウラディミール・ユロフスキ氏は、ここ数年の間、グスタフマーラー氏(交響曲と歌曲の大家として知られた指揮者)の視点から演奏している。そして、彼は、私たちに、今日それをどう感じるかを、しきりに問うた。


「他の指揮者の視点、つまり、グスタフマーラー氏の視点から、これまでとは全く違った指導をするユロフスキ氏のこの決定は、とても賢いことだと、私は思います。そうすることにより、マンネリ化した表現方法に陥ることが防げるからです。それは、うまく機能しました。人は、謙虚でなければなりません。それをユロフスキ氏は示しています。そして、彼は言いました、『表現が豊かになった』と。マーラー氏の視点から、第九シンフォニーを見たのです。」


今年は、ベルリン放送交響楽団が、初めてのゲスト指揮者、カリーナ・カネラキス氏を迎えた。彼女は、比較的、小編成のオーケストラを組んだ。グスタフ・マーラー氏が選んだような、後期ロマン派の大きな編成と比べて、演奏が比較的、速くて快活だ。100年前の聴衆が聴くのとは、全く別の印象が生まれることだろう。ベルリン放送交響楽団の演奏家たちにとってもまた、昨年とは違った感じを体験できるだろう。


「そのことが、もしかして、この楽曲の品質について何か影響するかどうかは、私には分かりませんが、きっと、素晴らしいものは示せると思います。しかし、単にそれを一つの表現様式で表すことは出来ません。確かに、私は演奏をすることは出来ます。しかし、毎年、新たな熟考が必要です。それは、同じメンバーと、そして、今年のゲスト指揮者と共に。私は、楽曲を、今どのように修めたいのか?長い第九の楽章をどうまとめたいのか?どう演出したいのか?その作曲家の生きた時代の中へ、あるいは、作曲家の時代のルーツに向かって、その楽曲が示すところに、どうまとめていけば良いのか?革新的に表現すべきなのか?つまり、新しいブラームスにしたいのか?新しいシューマンにしたいのか?はたまた、モーツァルトを思い起こさせたいのか?その様に、深く自分に問い掛けて、そして、皆で一つの答えに持っていく時、毎年その答えが、変わっていくのです。」


作:Uwe Friedrich (2019,12,30) 訳:Yoko Yoshimoto

協力;Werner Zitzl, Masanori Hosaka


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