• Yoko Yoshimoto

「ドイツパン神話の崩壊〜後編」



スイスのパンメーカーも、このように語る。「添加物の利点は、はっきりとしています。毎日、同じ品質が保てます。パン職人の様に長年の経験が必要なくなります。添加物を使いこなすために、特別な修行は要りません。例えば、乳化剤は、ほとんどのパンに入れられていて、パンの品質を保持します。これにより、大量の種類のパンの配送を可能にしています。」

では、パン職人は、これから必要でなくなるのであろうか?また、消費者は、どれが手作りのパンか、大量生産のパンか、食べて分かるのだろうか?ビオ認証を受けているパンを扱っている小売店店員はこう語る。「全くその通りだと思います。素人は、見かけでは判断できません。しかし、消費者は、いつも店頭で質問することが出来ます。そのパンの利点や、そのパンが、そこで作られたのか、あるいは、他社から仕入れられたものか、原料の小麦粉に、あらかじめ添加物が混ぜられていたかなど、消費者には聞く権利があります。」

どのパンが、どう作られているかを、おそらく消費者は、正しく知らされていないだろう。大手パンメーカーのこんな宣伝記事を例にとってみる。「トレンドは、信頼できるもの、自然なものへと向かっています」とか、「あなたは、パン職人として、どう志していますか?―昔ながらの素朴なパンをお薦めしたいです」とか、「純粋そのもの」などと書かれている。しかし、そのようなパンには、何かが隠されている。無添加パン職人のエルベル氏はこう言う、「その宣伝文句は、パンに体にいいイメージを付けています。しかし、そのメーカーのパンには、4種類の糖類が使われています。私は、それらを体の中に入れたくありません。パーム油から、乳化剤、レシチンに至るまで、私が知る限り、健康にも良くないし、不自然でもあります。パン職人が、ほぼ自分で作らなくて済むパンがあります。全粒粉のパンを作る場合、全粒粉のパンミックスと言うものがあって、パン職人は、その袋を開けて、水と酵母を加えて、こねて、10分寝かせるだけです。これは、パン職人にとって、無能であることを暴露しているものです。これは、パンの文化の崩壊です。」

現代のパン作りには、酵素が重要な役割を果たしている。それは、ほぼ全てのパンに入れられている。今回、オランダにある酵素を製造する大手メーカーDSM社で取材をした。その研究室で、新しい酵素の分析を行った。それらの大半は、タンパク質で構成されていて、化学反応を促進する働きを持つ。例えば、生地作りの場合、糸状菌などの微生物が、それらの酵素を作り出す。「パンを作るためには、ごく少量の酵素が関わっています。このサイズのミキサー機で、1mgの酵素が使われます。酵素を作る微生物は、遺伝子操作が可能です。それにより、パン作りに特化した酵素を得ることが出来ます。」たった1000分の1gしか使わない量の酵素を、遺伝子組み替えで作る。このいわゆる遺伝子組み換え酵素には、何かが隠されている。「見てお分かりの様に、本来の生地は、とても柔らかく、くっつきやすいものです。パン職人にとって、生地の形成に手こずることは想像できます。そこで、酵素の登場です。それにより、生地が安定し、くっつきにくくなります。どんな働きをする酵素を使うかを、私たちは選ぶこと出来ます。だから、今日たいていのパン職人は、酵素を使っています。」今や、ほぼ全てのパン職人は、パンを手でこねていません。機械でこねる場合、酵素がないと生地は機械にくっついてしまう。また、酵素によって、パンは大きく膨らむし、発酵時間も短くて済む。パン職人にとっては、時間とお金の節約になる。「より大きく膨らむし、心地よい柔らかいパンが出来ます。大手パンメーカーにとっては、酵素は欠かせません。およそ30〜40種類の酵素は、精密な道具とも言えます。カリッという食感に仕上がるし、色づきも良くなる。何より、賞味期限を延長できます。酵素によって、パンの中の水分を長く維持させることが出来ます。それは、6〜7日ほど保たれます。それは、賞味期限の延長に役立つのです。」パンは、長く持つだけでなく、カビすらも生えない。更に言えることは、添加される酵素の表示義務がないこと。「ハリー・ブロート」も、酵素を使っている。スライスされたパンを日々スーパーマーケットに卸している。「私たちは、賞味期限を伸ばすために、遺伝子組み換えされた酵素を使っています。賞味期限の終わりまで、フレッシュなパンを提供したいと考えています。」ハリー・ブロートのパンでは、最長11日間の賞味期限のパンが、スーパーマーケットで売られている。

では、一体どの位でパンがかびるのだろうか?スーパーマーケットで売られている袋入りの6種類のパンで、今回実験をしてみた。全てのパンに酵素が使われている。5ヶ月後、どのパンを見ても、変わりないように見える。一つのメーカーのパンだけに、少しのカビが見られた。7ヶ月後、未だに2つのパンには、カビが生えない。食品評論家のスベン・デイヴィット・ミュラー氏は、それらのパンに呆れるほど感心した。7ヶ月経っても、柔らかいだけでなく、未だに新鮮だからだ。「数ヶ月経っても、新鮮でカビすら生えないパンは、全くどうかしています。これは、酵素を入れられている理由以外には、到底考えられません。これは、食品の乱用とも言えます。パンは、本来かびるものです。かびないパンを私は、自分にも家族にも食べさせたくないです。」これは、単に自然でないものとして、片付けていいのか、それとも、パンに使われる酵素は、危険と考えた方が良いのだろうか?産業医学とアレルギー学を研究しているバウアー氏は、パン職人らと酵素の役割を大学で調査した。そして、その結果に警鐘を鳴らす。パンに使われる酵素は、高い頻度でアレルギーを引き起こす。たった1gでも、喘息の発作を引き起こす場合がある。結果、被験者のおよそ3分の1が、アレルギー症状を引き起こした。それは、消費者だけでなく、パン職人にも該当することである。ここで考慮しなくてはならないことは、ここ数年の間、アレルギー患者が急激に増えた理由と、結びつけることが出来るかどうかだ。「国民のアレルギー患者の増加が、以前より増えていることを考えれば、その要因が、私には想像できるのです。数百年前に、ドイツで、固有のパン文化が生まれました。しかし、今は、それが急速に失われている様に見えます。手作りの小売店の大きな問題点は、実際に人が食べて、工場で大量生産されたパンと、手作りのパンと、区別が出来ないことです。もし、手作りパン職人が、原点に戻らなければ、ドイツで、その文化は絶滅してしまうことになるでしょう。」

その事態を、無添加パンを作るエルベル氏は、どうしても避けたい。彼は、自分のパンに何が入っているかをはっきりさせたい。彼の使う小麦は、彼の店の近くに住む、ビオ農家のペヒター・チャーリー・ブレム氏によって栽培されている。代々エルベル氏と付き合いのある農家の一つだ。「これは嬉しいことです。小麦を見れば分かるのです。私たちも、当店のお客様も、どこの小麦か分かっています。確かに、小麦だけを見ても、どこのものか特定出来ません。でも、選び方によって、不特定多数の小麦ではなくなるのです。」今年、ブレム氏は、特別な小麦を植えた。赤色小麦と呼ばれる、忘れ去られていた古代種の珍しい小麦である。「この近郊の農家の人たちは、この赤色小麦のことを知らない。私は、この地域でそれを栽培する唯一の生産者です。見かけも普通の小麦よりもかなり違います。とても美しい赤色をしていますし、素晴らしい種です。そして、近年の気候温暖化にも適合しています。」もし、温暖化が進んでいけば、ブレム氏のこの小麦は、確実にこれからの選択肢となるだろう。そして、エルベル氏もこの古代種の小麦に期待している。彼の焼くパンに、見た目と味わいに変化が加わるからだ。「今、私のパン工房に、この色あいの小麦は必要です。第一に、個性的ですね。この小麦は、新しい道を開くことになるでしょう。焼き上がりも違うし、ボリュームも違う。食感も違う。おいしいパンになりますよ。そのような方向を模索できれば、私たち小売店の未来も見えてくるでしょう。」エルベル氏は、パン職人として努力を惜しまない。しかし、その道は、コスト面では高くつく。でも、お客様の声は上々だ。「とても個性的なパンよ、この近所にはない味よ。」、「普通のパンより、小麦が違います。味があるし、消化にもいい。」、「化学的なものが全く入っていないわ。だから、私は好きなの。」など。

小麦、水、塩、その3つの自然な主要原料は、パン職人のエルベル氏の生活にとって、大切なものだ。しかし、それはいつの間にか例外になった。ドイツパンの神話を維持していくものは何か?現在、多くのパンは、工場で作られているという事実。短い発酵時間、いかがわしい添加物。そして、憂慮すべき化学室で開発された酵素。また、多くのパン職人たちも、いつの間にか、自分たちの修行した腕よりも、その添加物を信仰している。世界文化遺産に輝くドイツパンは、一体どんな価値を持つのだろう。「ドイツが授かったパンのタイトルは、全く価値のないものと言ってよい。なぜなら、今やドイツには、添加物なしでパンを焼く職人は無に等しいからだ。本来、例外であることが、原則となってしまった。それを、考えて食べなくてはならなくなった。そこから、世界文化遺産など、とうに失われてしまっていると、ドイツは世界に公表する日が来るだろう。」

良い小麦、独創的なパン職人、豊かな土地、全てをかつてドイツは持っていた。しかし、それは過去のものとなった。それでもなお、ドイツパン文化は保持されなくてはならないのだろうか。


作;Planet e.(2020,1,26) 訳;Yoko Yoshimoto 協力;Werner Zitzl