• Yoko Yoshimoto

「ドイツパン神話の崩壊〜前編」


ドイツパンの、その味わいとその種類は、世界でも特異なものとして知られ、ユネスコの世界文化遺産にも選ばれている。しかし、ドイツ人は、その遺産を本当に評価しているのだろうか?現状のドイツのパンの大部分は、工場で作られている。そして、そのパンのレシピは、パン工房で作られたというより、化学研究室で作られたといってもいいほどだ。それは、多くの危険をはらんでいる。ほとんどの手作りのパン工房で、パン工場で入れられるのと同じ添加物を入れている。「ほんの1gでも、喘息発作を引き起こす可能性がある。パン職人にとって、それは無能の証明、真実の暴露である。そこでは、文化が壊れている。パンの文化が」と、専門家が語る。ドイツパンは、まだ豊かな価値のある文化財で有り得るのか、あるいは、安い量産品になってしまったか?

年に1度、ベルリンで、手作りパン職人のイヴェントが開かれる。その日は、ドイツパン文化の多彩さと職人技術を、各職人たちが披露する。しかし近年、多くの職人たちは、お祝い気分になれない。「私たちは、心より喜ぶ気持ちにはなれません。手作りパンの業界では、逆風が吹いています。厳しい市場環境の下に置かれ、過酷な競争により、店舗数が減っています。しかし、私は思います、手作りパンは、存在し得ると。なぜなら、その品質と種類でもって、顧客へのサーヴィスを充実できると確信しているからです。工場で焼かれるパンは、種類が限られ、規格化されたもので、ただ量産、量販されるものです」と、ドイツパン中央組合のダニエル・シュナイダー氏は語る。

パン工房プレンツを経営するシェプナー氏も、同じ模索をしている一人である。彼は、2代目の社長で、ブランデンブルク市内に、現在8店舗を運営している。この祭典「ドイツパンの日」のために、彼は手作りのパンを、職人のパンとして出典した。「全てのここにいる職人たちは、この業界の問題を知っています。確かに多くの人々は、パンを毎日食べます。しかし、必ず小売店(=職人が作る手作りパンの店。以下、小売店と表記)から買うわけではありません。問題点は、小売店には、大手メーカーとは違う、独自の特徴が必要であること。そうであれば、閉店することはないでしょう」と。

現在、パンを小売店から買っているドイツ人は、全体の3分の1でしかいない。小売店は、この10年の間に30%の減少、11,000件が店を閉めた。それに代わって、20,000件以上の冷凍生地を焼くだけのパン工場が、スーパーマーケットやディスカウンターに置かれている。そこから、数百件のチェーン店の店頭に運ばれ、24時間、焼き立てのパンが安値で販売される。年間のドイツ人一人当たりのパン(焼き菓子を含む)の平均消費量は57kg。その大部分が、大手メーカーが製造したものである。アイスレーベンに拠点を置く、大手パンメーカー「アルセナ」内では、24時間ベルトコンベアーが稼働いている。そこでは、多くのパン職人が一生焼くパンの数よりも多く、日々生産されている。毎日およそトレーラー6〜7台分の小麦粉が工場に運ばれてくる。「1日当たり最高180トンの小麦を使い、ベルコンベアー1レーン当たり、およそ42,000個、合計で2億個のパンが流れていきます。生地は、半分焼かれた状態で冷凍され、各店舗に運ばれ、そこで、もう一回オーブンに入れられて完成します。どこの店でも、この冷凍生地が使われています。このように、パンは、誰でも焼けるように加工され、ガソリンスタンドや、スーパーマーケット、ディスカウンターで販売されます。ディスカウンターは、冷凍生地だけを焼く工場を持ち、そこで製品化されます」と、アルセナの社員は説明する。

しかし、大量生産には、代償が伴う。通常、パン生地というものは、とても繊細なもの。ベルトコンベアーの上では、生地がくっついてしまう。そこで、化学的な添加物が登場する。それを入れることにより、ベルトコンベアーにくっつかなくなる。工場の倉庫には、建物の天井に届くほどに積まれた、袋入りの添加物の在庫がある。「全く安心ということはない」と、食品医学の専門家であり、多くの著書のあるデイヴィッド・スヴェン氏は言う。パンの添加物の大多数を、彼は否定する。「添加物には、膨張剤、増粘剤、酸味料、酵素などがあります。添加物を入れる量には制限があり、人体には害がないとされています。しかし、特定の人に、アレルギーや、添加物の不耐症、偽性アレルギー症状、腸の不調などを引き起こします。」

フランケン地方のダックスバッハで小売店を営む、アルント・エルベル氏は、パンに一切の添加物を使わない。よって、彼自身を、「フライベッカー(何も入れないパン屋)」と呼んでいる。彼は、12世代に渡って、パン作りに3つの原料しか使わない。「小麦粉、水、塩。当然、小麦の一部は、サワー種に使われます。でも、そのサワー種もまた、小麦と水だけで作られます」と。50歳になるエルベル氏は、今まで一度も工業的な添加物を使ったことがない。サワー種の中には、十分な自然の酵母が含まれていて、340年間、彼の家では、それでパンが焼かれている。「このよく熟成しているサワー種の一部を、少しだけ取っておきます。それは、明日のための生地の元となるのです。それを今から、25時間、寝かせます。一度に大きくなるわけでなく、少しずつ膨らんで、段階を重ねて、合計で25時間かかるのです」と。生地を長く寝かせるだけで、特別な香りが生成される。エルベル氏は、パン作りに多くの時間を掛ける。それにより品質が決まる。「私たちは、時間を気にかけない。生地が何を要求しているかを目で見る。そして、どのようなパンになるかを考える。一番大事なことは、パンに従うことです」と。エルベル氏は、そんな数少ない手作りのパン職人だ。

一方、工業製品には、全くそれが当てはまらない。工場では、「時は金なり」なのだ。例えば、ドイツの最大のパンメーカー、「ハリー・ブロート」を見てみよう。1日当たり、およそ60万個のパンがベルトの上を流れる。よって、生地を休ませる時間は、最低限。「私たちの場合、最低10分と決められています。ロッゲンミッシュブロートなどは、10分で十分です。長く寝かせるパンでも、1時間までです」と、担当者。しかし、その短い時間は、問題も引き起こす。大学で教える小麦栽培の専門家、フリードリッヒ・ロンギン氏はこう説く。彼は穀類の成分を研究している。例えば、小麦の中に含まれる糖の種類に、フォドマップがある。フォドマップは、小腸で吸収されにくい短鎖炭水化物で、それで過敏性腸症候群などを引き起こす人もいる。フォドマップは、パン生地の発酵中に、酵母によって分解されることが、ある研究で明らかになった。しかし、それは、生地を焼く前の、長く寝かせておく場合に限られる。「生地を焼く前に、1時間しか寝かせなかった場合、フォドマップは、ほぼ100%パンの中に残っています。フォドマップは、生地を長く寝かせないと減らないのです。4〜5時間ほど寝かすと、フォドマップは、ほぼなくなります。過敏性腸症候群は、フォドマップが起因する代表例です」と、ロンギン氏。生地を1時間未満しか寝かせていない、工場で作られるパンは、高い数値でフォドマップが検出される。近年、パンによって体調を崩す人が増えている。もしくは、最近の小麦の種類が原因と言う人もいる。「今日の小麦は、以前よりは、少し変わっています。小麦が誕生して、およそ1万年経ちます。そして、育てやすいように改良されて、今があります。しかし、性質がそれほど大きく変わってはいるわけではありません。」小麦のせいでないとすれば、なぜパンを食べて、病気になる人が増えているのでしょうか?その原因は、はっきりとまだ解明されていません。「添加物が原因である可能性はあります。私たちは、数千年以上前から小麦を食べ続けています。しかし、添加物を入れ始めたのは、およそ20〜30年前からです。つまり、添加物に原因がある可能性の方が高いのです。」

添加物に危険性がある以上、小売店主、アルント・エルベル氏は、それを避けたいと考えている。彼は、小麦農家のミュラー・ミハエル・リッツ氏に小麦の製粉を頼んでいる。彼の店の近くに、その古い製粉機がある。「私が子供の頃から、この製粉機を見ています。私たちは、深い信頼関係にあります。私の父は、ここで製粉を頼んでいました。だから、私が今ここで製粉を頼むのも当然のことなのです」と、エルベル氏。旧知の中は、信頼の証である。しかし、エルベル氏がここで買うことには、真っ当な理由がある。純粋な小麦を、彼は買いたい。けれども、その様な小麦はとても少ない。「私がここで製粉をする場合、添加物が入らないことは、すぐ分かります。それは、このような小さな製粉機だけに言えることです。24時間止まらずに動く、大きな製粉機の場合は、話が違います」と、小麦農家のリッツ氏は言う。つまり、大きな製粉機の場合、小麦粉と同時に添加物が混ぜられている事実がある。大抵のパンメーカーは、そのミックス粉を使っている。しかも、消費者へのその表示義務はない。それらの添加物は、全て認可されていると、リッツ氏は言う。「酸化防止剤であるアスコルビン酸、生地を柔らかくするシステイン、生地をくっつきにくくするプロテアーゼなど、添加物をすべて表示すれば、とても長くなる」と。

ブランデンブルク州のオラニエンブルクにある「ベッカライ・プレンツ」は、8つの支店を持つ創業140年の老舗。しかし、日に日に増す価格競争に晒されている。この小売店の戦略は、多くの支店、低価格、多くの売上、そして、多くの種類である。この老舗の息子のマキシミリアン・シェプナー氏は、エルベル氏の様に、3つの原料だけでは、生地を作らない。「まず、最初に酵母を入れて、生地が膨らんできたら、少しの油脂を加えます。しなやかな生地になるからです。そして、食感に関わる一つの添加物を入れます。それにより、弾力が加わります。それにより、全ての支店で、同じ品質のパンができます。私たちには、全店に一定した手法が必要なのです」と。本当は、彼も、できれば添加物は少なくしたい。しかし、支店は8つある。どこの支店でも、品質が同じでなければならない。そして、価格も抑えなくてはならない。「もし、添加物を使わなければ、それは不可能でしょう。添加物に頼らないパンを作るのなら、職人をもっと雇わなければなりません。生地を手作りで行って、その出来具合を目で確かめるには、もっと機械も人も必要になるでしょう」と。150種類ものパンを品揃えする彼の元では、すべてのパンを自社製造するには、規模が小さすぎる。そこで、コストの掛かるブレッツェルやクロワッサンなどは、他社から調達している。この店の看板商品である、「ジョギングブレートヒェン」は、美味しいし、当然、自然な小麦が原料だが、多くの添加物に頼っている。


作;Planet e.(2020,1,26) 訳;Yoko Yoshimoto 協力;Werner Zitzl